摩周湖と周辺湧水の研究
解 説 ・ 裏 話

 

 1.卒業研究論文の解説・裏話 1987年(1988年提出)
 2.朝日新聞「続・北の火の山」の裏話 1998年
 3.摩周 水環境フォーラムでの講演の裏話 2002年


 

おおまかに以下の記号で分けています。両者が混ざっている場合もあります。
解説
裏話、苦労話、与太話など




1.卒業研究論文の解説・裏話

 
 当時(1987年)のパソコン事情

卒論を書いた1987年のパソコンは、Windowsすら無いMS-DOSの時代だった。 パソコンはNECのPC98シリーズで、1台約50万円。どの研究室も学生一人にPC1台を割り当てられるゆとりはなかったから、数人で1台だった。 Windowsが無い時代だから、当然、WordもExcelもない。 ワープロは一太郎、表計算はLotus1-2-3で、どちらも1本10万円もした。 したがって、PCもソフトも個人での購入は高根の花だった。

それでも私の学科は先進的で、ワープロでの卒論提出が必須だった。特に長期間の推敲を要するワープロは自分の占有機が必要だったから、自分で日本語ワープロ専用機の東芝ルポを6万円くらいで買った。 このルポで、自宅でも通学中の電車の中でも、書きまくった。

東芝のサイトによると、ルポは10年前の平成18年3月までサポートされていたそうだ。長年愛されていたんだな。

 当時(1987年)の電子記録媒体事情

パソコンの普及状況がそんな状態だったから、当時(1987年)の卒論の提出用媒体は、紙が当たり前でした。でも、私の学科は先進的だったので、紙に加えて、データファイルをフロッピーディスクで提出が義務。
若い人はフロッピーディスクなんてご存じないでしょうが、最大1.44MB(単位はメガですよ。ギガではありません。今でいえば写真ファイル1枚分くらいですね)記録できる、持ち運び可能な電子記録媒体の元祖でした。

サイズの規格は大きい順に、8インチ、5インチ、3.5インチがあり、大学のPC98には8インチ、5インチのドライブを装備していた。
この8インチ、5インチという規格のフロッピーディスクの筐体は、驚いたことに、CDの紙ジャケット程度の厚紙なんです。ちょっと力を加えたら折れ曲がってしまうほどの軟さ。そんな中で登場したのが、硬いプラスチックに覆われた3.5インチの新規格。 大学のPC98は、まだ3.5インチのドライブが無かったのに、私の東芝ルポは最新機種だったので3.5インチを標準装備。

他の同級生が”ペラペラな紙ジャケ”で卒論を提出する中、私など一部の学生だけが、”硬質の安全媒体”で提出し、鼻高々でした。
もっとも、Lotus1-2-3の表計算・グラフデータは”ペラペラな紙ジャケ”での提出でしたけどね(笑)

 当時(1987年)のインターネット、電子アーカイブ事情
インターネットそのものの歴史は古いのですが、日本で初めてインターネットサービスプロバイダ(ISP)がサービスを開始したのが1992年なので、当時(1987年)の日本では、一般の人は誰もインターネットが使えませんでした。
したがって、参照する文献は全て大学、研究機関などから紙のコピーで取り寄せです。 自分の卒論をネット経由で提出なんて手段もありませんでした。 したがって、今みたいに、大学が卒論をアーカイブして公開してくれるなんてことは夢想だにできない時代でした。
インターネットの普及で現代の学生は、知の共有がいとも簡単。羨ましいです。
 データの復元

残念ながら、卒論の文章部分のデータ形式がルポなので、現在ではデータファイルを復元できない。もっとも、卒論データを保存したフロッピーディスクも、ルポ本体も見当たらないが(笑)。

そこで、残されていた卒論の紙を何日もかけてコツコツとスキャンしました。 このスキャンがかなりの力作業なので、影があったり、曲がってたりするのはお許しください。

また、いずれ、スキャンした電子ファイルをOCRでテキスト化したいと思います。 テキスト化すれば、解説や裏話をハイパーリンクで挿入できるので。 OCRによるテキスト化と編集は、かなりの力作業なので、将来の予定です。

 題名

指導してくれた助手(現在の助教)から、卒論の題名「摩周湖の水収支と周辺湧水に関する研究」の、”に関する研究”の部分は蛇足だから、削ってはどうかと勧められましたが、結局残しました。

その理由を白状すると、「いしいひさいち」の4コマ漫画で、文系のダメ学生達が卒論のテーマが決まらずに、「俺は『・・に関する一考察』までは決まってるんだけどな」などととぼやき合っている本末転倒なシーンが大好きで、理系の論文なら題名に『・・に関する研究』がつくのがカッコいいな、と思い込んでいたからです。
振り返ってみれば、助手の指導に従っていたほうがシャープな題名でした。
何もかも、青かった時代でお恥ずかしい。

 日本大学文理学部応用地学科

私の出身の日本大学文理学部応用地学科は、現在では学科名が「地球科学科」と改称されています。
現在の地球科学科のWebサイトには、「私立大学で唯一の総合的な地球科学の研究・教育を行っている学科です。学科ではJABEEに認定された学習・教育プログラムを実施しています。」と紹介されています。

私の在学当時も総合的な地球科学の研究・教育研究を提供してくれており、この学科で学べたことに感謝するとともに、誇らしく思っています。

 陸水学
陸水(りくすい)学は、湖沼、河川、ダム湖、河口域、地下水、湿地、雪氷など、内陸部に存在する水域を対象とする総合科学です。
日本陸水学会のWebサイトより)
 陸水学研究室
私の出身の陸水学研究室は、現在では水圏環境科学研究室として継続しているようです。

 


 

 P.1 まえがきの挿入

論文には形式があります。
論文には形式については、坪木和久教授(名古屋大学地球水循環研究センター教授)のサイトがとても参考になる

私の卒論もこの形式に従い、題名→目次→要旨(abstract)→序論(はじめに)→・・・と構成されていますが、目次と要旨の間に、形式には無い「まえがき」が挿入されています。

指導してくれた助手(現在の助教)から、「理系の論文に、”まえがき”なんか入れるのはお前が初めてだ。」と笑われました。でも、笑って許してくれた。 おおらかな研究室でした。

形式から外れているだけでなく、理系の論文なのに、「ビシュッ!」という擬音で始まっています。これは滅多に無いでしょう。
このように異例尽くしの”まえがき”をあえて挿入したのは、この論文の内容は多くの人に知ってほしいので、理系だけでなく文系の人にも受け入れやすいようにわかりやすく書いた、という私の決意の表れでした。

 P.1 まえがき:メンカクシと熊のエピソード
まえがきの、メンカクシと熊のエピソードは、参考文献の10番に収録されていた『東蝦夷夜話』の記述からの引用です。
原文を尊重し、できるだけ忠実に引用しているので、「酋長」や「土人」という当時の用語が差別用語だなんて言わないでくださいね
 P.1 まえがき:神の子池
今でこそ、テレビ、雑誌、ネットなどで知れ渡っている神の子池ですが、当時の神の子池はガイドブックにも載っておらず、旅人の間でも知る人ぞ知る、観光の穴場でした。
今でも心を洗われる素晴らしい湧水地です。是非行ってみてください
■神の子池(1987年)
 P.1 アイソトープ
ここでのアイソトープとは、放射性同位体という元素のことです。
ごく微量でも確実に検出できる物質なので、水に流せば、その水がどこに流れ着くかの標識となるのです。
 P.1 神の湖
摩周湖をアイヌ語で、カムイ・トゥーと言います。
カムイは「神の」の意味で、トゥーは「湖」や「沼」を意味します。
だからアイヌの人々にとっては、摩周湖は名前自体が「神の湖」なのです。
■摩周第一展望台から眺める摩周湖
 P.1 秘境は遠くからそっと見守りたい
摩周湖は絶壁の断崖に囲まれており、湖岸に降りることはできません。
実は湖岸に降りる秘密の山道があるのですが、普通の観光客はその存在すら知らないし、知っていたとしても入道には許可が必要です。
私達の研究室は、国立公害研究所が摩周湖の水位を計測するために湖岸に設置した水位計のメンテナンス(記録紙や電池の交換)を同研究所から委託されていたので、特別に湖岸に降りることができたのです
■一般の人は降りることができない、摩周湖の湖岸
 P.2 abstract
要旨のこと。
要旨なら要旨と日本語で書けばいいのに、なぜか理系の論文ではいくつかの単語を英語にしなければならないしきたりがあり、それに倣いました。
論文の「要旨」とは何かについては、先述の坪木和久教授のサイトが参考になります。
 P.2 abstract:滲出水
「しんしゅつすい」と読みます。 あまり聞きなれない単語ですが、漏れ出た、あるいはしみ出た水のことです。
同じ発音の「浸出水」は汚染された雨水のことで、滲出水とは意味が異なります。 摩周湖は、自然界で最も環境汚染の少ない湖(国立公害研究所報告)ですから、摩周湖からが漏れ出た水が「浸出水」ということは無いので、正しく「滲出水」表記しました
 P.2 abstract:基底流出量
長期間雨が降らないのに、安定して流れ出ている川の流量のことです。
雨が降らないということは、水源は、通常は湧水です。
(人口密集地を流れる川なら、生活排水が基底流出量ということもあるでしょうが、北海道の河川ではそのようなことはありません)
 P.2 abstract:西別川の基底流出量は1.52立方メートル/sec
西別川では毎秒、お風呂一杯分程度の湧水が湧出しているとイメージすればわかりやすいでしょう。
 P.4 2-1.摩周湖概要:Seepage Lake
流入河川も、流出河川も無い湖のことです。
4-1-2.Seepage Lakeの水収支 にある通り、流入河川や流出河川がある湖と比べて、水収支の計算式がシンプルなので、自然科学の研究対象として理想的です。
私の卒論では、Seepage Lakeという専門用語は頻繁に出てくるので、覚えておいてください。
 P.6 3-1.水収支:自記水位計
国立公害研究所が摩周湖の水位を計測するために、湖岸に自動記録の水位計を設置しています。この水位計のおかげで、水位の長期間の無人記録ができたのです。
ただし、新しい水位データを見るためには、北海道の秘境まで足を運び、絶壁を降りて湖岸まで記録紙を回収に行かないといけません。
私が摩周湖の研究を指名されたのも、記録紙回収の裏目的があったのは想像に難くありません(笑)
■写真左の白い箱が自記水位計
 Fig.5(水位変動の推移)
グラフに2か所、空白部分があります。
これは、4-1-1に記載の通り、水位計が2回故障したため、記録できなかった部分です。
1回目の故障で記録できなかった期間は7か月もありましたが、これも摩周湖は容易に足を運べる場所ではないためです。
 P.6 3-2.湧水調査:21ポイント

広大な面積かつ、山岳地帯の摩周湖周辺で、対象の湧水をどのように発見したか。 まず最初に、国土地理院が発行する「地形図」という、社会の授業で使う地図帳や道路地図などよりもはるかに詳細な地図を、大きな書店で買ってきます。
現地実寸に割と近い大縮尺なのでなので、広大な面積をカバーするために10枚以上購入しました。

この地形図は、大きい縮尺の図だと、どんな小さな川でも描かれている優れものです。
(GoogleアースやGoogleマップが無かった時代に、実地測量と空中写真で地道に地形図を作製した先人の努力にひたすら感謝です)

そして、地形図に描かれている川の先端を見つけます。山側の先端がその川の起源であり、すなわち湧水が湧出している場所です。これを頼りに湧水地に目星をつけます。

次に、摩周湖の水面の標高351mよりも高い場所から生まれている川は、本研究の対象から除きます。その川は、湧水が起源であることには違いありませんが、水は低いところから高いところには流れないので、その湧水は「摩周湖の滲出水」の可能性はないからです。

摩周湖は摩周外輪山のカルデラ壁で囲まれているので、そのカルデラ壁に降り注いだ雨水が、地下を伏流して湧出したり、地表を流れ出て川に注ぎ込む流入ルートもあるので、標高351mよりも高い場所で生まれている川の起源は全て「カルデラ壁に降り注いだ雨水」と推定されます。
ちなみに、地形図には、標高351mよりも高い場所から生まれている川は、ほとんどなかったと記憶しています(あまり自信がありませんが)。

 

■摩周外輪山のカルデラ壁
さて、地形図に掲載されているからといって、その湧水が人が立ち入れる場所にあったり、目に見える場所にあるとは限りません。崖下だったり、草木に覆われていて見えないこともあります。そこで、地形図上で判断できる場所のできるだけ近くまで車で分け入り(写真)、そこから先は、獣道や道すらないところを歩いて探すのです。現地の方々に場所を教わることもしばしばでした。時間と体力と根気のいる野外調査です。
■奥深くまで車で分け入った
 P.6 3-2.湧水調査:原子吸光法、イオンクロマトアナライザー、4.3BX法

いずれも化学的な分析手法です。
陸水学研究室には、これらの精密な分析器が色々ありました。学生の私たちが扱ってよい分析器は一部で、その他は助手や院生が操作してくれていたように記憶しています。
縁の下を支えてくれた諸先輩方に感謝です。

分析には何日もかかったと思います。
このあたり、いずれも記憶が曖昧なのですが、私は高校の理科の先生を目指していただけあって、化学分析は割と好きでした。

 Fig.2 湧水調査地

一見、何の変哲もない地図ですが、当時はマウスが無かったんですよ。
この図を描くこと自体が離れ業だったんです。
地形図から不要な情報を省き、摩周湖の湖岸線、水面の標高線、河川、主要道路のみに絞り込んで、湧水の場所と湧出量を描いた渾身の図です。
どうやって描いたのでしょうか。

よく見てください。
この図は、「線」ではなく、小さな「点」の集合で描かれています。
地形図を、プロッターと呼ばれる機械で1点ずつなぞっていくと、パソコン側に点が記録されて、この図が描けたのでした。

そんなマニアックなコンピュータ機器は陸水学研究室には無かったので、同じ学科で地震や気象などの研究をしている地球物理学研究室に頼んで貸してもらいました。このような描写手段があることや、操作方法を教えてくれた人は、謝辞にある同級生の岡田義紀君です。
地球科学は広範な領域にまたがる総合科学なので、この卒論の研究も自分ひとりでは到底進めることはできず、多くの他領域の専門家に支えられました。 感謝、感謝です。

 P.7 3-3.流出率:建設省北海道開発局土木部河川課が調査した流量の記録

建設省という省庁は、今の国土交通省です。
この建設省北海道開発局土木部河川課に、西別川の流量の記録が日ごとに計8年分残されていたので、全てコピーさせていただき持ち帰りました。 この365日×9年×2観測所=約6600日分の流量データ(紙!)を、Lotus1-2-3に打ち込むだけでも、気の遠くなるような大変な作業でした。
(計算、グラフ化はあっという間ですけどね)

このような非デジタルの時代であったことも、誰も踏み込めない研究分野の理由があったのかもしれません。河川課の皆さんが地道に測定し続けた記録を、形ある成果に還元出来て嬉しいです。

そういえば、建設省の河川課といえば、当時の応用地学科の就職先の花形だったと思います。

■西別川25号(西別川に2か所ある建設省の観測所の上流地点)
  ・・・卒業後、旅行で訪問した際に撮影

 Fig.4(b) 地質断面図

この地質断面図は、私のお手製です。
応用地学科では、2年生か3年生の時に、地質学という授業で地質断面図の描き方の専門教育を受けるのですが、私は地質学が苦手でした。そこで、この地質断面図は、地質学の得意な同級生をアイスクリームかハンバーガーか何かを奢って、綿密にチェックしてもらいました(笑)。

ところで、この図の中に。温泉マークみたいな記号が3か所あります。ただし、湯気の線が3本ではなく1本です、この記号は書き損じではありません。
湯気が1本の温泉マークもどきは、湧水の記号なのです。
ただし、この湧水マークは陸水学の文献では使われていましたが、国土地理院の地図記号一覧などには掲載されていないので、どうやら陸水の専門分野でのローカルマークだったようです。ずっと公式なマークだと思っていました。

 P.8 4-1-2.Seepage Lakeの水収支:水収支の式

Seepage Lakeの水収支の計算式はシンプルで分かりやすいですね。
私は美しいとさえ感じます。 経済学では、世の中の複雑な経済指標を「もし●●だったならば」という仮説を置いたうえで単純化し、大きな基本原則を見つけ出すアプローチをとるので、仮説と現実の乖離が大きいと実態経済にはあてはならなくなることもあるかと思いますが、Seepage Lakeは理論通りになるので美しいです。

ところで、国立環境研究所(旧・国立公害研究所)の調査で、摩周湖は流入河川が無いとされていますが、別の研究では、小さな沢が1本流れ込んでいるとの報告があるようです。ただし、現時点で摩周湖の研究を最も体系的に整理していると思われる「GEMS/Water摩周湖モニタリングデータブック(2004年10月発行。国立環境研究所)」でも、流入河川はないとして扱われているので、仮に「小さな沢」があったにしても水収支にはほとんど影響のない、少量で不定期な流入なのだと思います。

 P.9 4-1-2.Seepage Lakeの水収支:最近1年間の水収支
「図を見ると9月には・・・水位低下となった」の件は、閉ざされた湖に雨が降れば水が上がるはずで、実際一時的に約3cmの水位上昇はあったのだけれど、そのあとすぐに低下が起こり、むしろ雨が降る前より約7cm低下した、という意味です。
まるで、降ってきた雨を押し流していつでも水位を一定に保とうとしている生物のようで、面白い涵養機構が働いているのが摩周湖です。
■摩周湖の電気伝導度を測定中
 P.9 4-1-3.地下滲出量
4-1-2.で、水位低下した分の水はどこに行ったかと言えば、水収支の式に立ち戻って、「湖面からの蒸発」と「地下への滲出」の二つだけ。「湖面からの蒸発」の量は蒸発量の計算式で求められ、摩周湖は寒くて、かつ、鍋-筒状だから熱の発散も少ないことから蒸発量は微々たるものなので、失われた水のほとんどは、「地下への滲出」となるのです。
 P.10 4-2-1.湧水の分布:湧水調査は摩周湖周辺のほぼ全体を網羅した
湧水の湧出場所の探し方は、裏話の3-2.湧水調査で解説しましたが、地形図で目星はつけても、実際に現地に行ってみなければ存在の有無がわからないので、探し出すのはかなり大変でした。
地形図では川が描かれているのに、辿り着いたら涸れ谷だったということもあり、根気のいる調査でした。
■辿り着いたら枯れ谷だったこともしばしば・・・
 P.10 4-2-1.湧水の分布:北部湧水群(No.3〜10)

北部湧水群(No.3〜10)は、Fig.4(b) 湖盆断面図の左側のポイントで、ご覧の通り湖面から10m〜90mの間に集中しています。
特に、No.3のあめます川とか、No.6〜8の清里の小さな湧水はかなり湖面に近いので、「本当に摩周湖の滲出水なの?」と疑われます。
その通りで、これら北部湧水群(No.3〜10)は地形的に、摩周外輪山に降り注いだ雨水が、カルデラ壁を伏流して湧出しているのは間違いないでしょう。

でも、Fig.4(b) 湖盆断面図にある通り、摩周湖の湖盆の側面の地質は溶結凝灰岩(Welded Tuff)といって、水が浸透しやすい地層がかなり緩やかな傾斜で広がっているので、滲出水はこの緩やかな傾斜の地層を伏流して地表に流出します。
したがって、北部湧水群(No.3〜10)の大部分の起源は「カルデラ中の地下水」なんでしょうが、「摩周湖の滲出水」もある程度は混じっているのです。
このことは後述の化学分析でも明らかになります。

北部湧水群No.10の神の子池も、計算上の滲出量と比較して湧出量の方が断然多いので、「カルデラ中の地下水」が多いであろうこともわかっているのですが、「摩周湖の滲出水」も混じっているので、神の子池ファンも清里町観光課の皆さんも安心してください。

ま、例えてみれば、温泉旅館で、源泉100%の温泉では熱すぎて入浴に適さないので、付近の沢の冷水を足して適温にまで温度を下げている温泉を、「源泉100%でないから温泉というのは偽りだ」などという人はほとんどいないのと似たようなものです。

 P.11 4-2-2.流量 & Teble.1 湧水量

湧水の流量をどうやって調べたかと思いますか?
ちなみに、水道管のような管を流れる水の流量の測定器はありますが、断面積が千差万別の自然界の河川や湧水の流量の測定器は存在しません(たぶん)。

「流量」ではなく「流速」の測定器ならあります。そこで、流速測定器を投入できる大きな河川であれば、流速を測定し、それに断面積を掛け算して、単位時間当たりの流量を求めることができます。

でも、私たちが学生の頃は、流速測定器で調査するのは環境コンサルティング会社などのプロに限られていて、私たちはもっと原始的な方法で測定しました。
その手段が、Teble.1の「流量測定法」に記載のある、「直接法」、「浮子法」、「塩分希釈法」です。

湧水が管を通って湧出している場所では「直接法」を用います。その管にゴミ袋をかぶせて、1分間に貯まる水の量を計測します。最もシンプルで完全な測定方法です。

■清里の自噴井(湧水が管を登って湧出)

■直接法

小さな沢の場合には「浮子法」を用います。
そこらに落ちている葉っぱを上流から投げ込んで、10mとか20mとか下流まで流れ下る時間を計測して流速を求めます。次にその沢の深さを一定間隔で測定して断面積を計算します。そして、流速に断面積を掛け算すれば、流量が求められます。
大きな川だと、流速は浅い部分と深い部分では異なるし、川幅の中央部と河岸でも異なるので「浮子法」では必ずしも正確ではないのですが、小さな沢であればかなり正確に求められます。時計とメジャーと、現地調達の葉っぱさえあれば測定できるので便利です。

そして、「浮子法」では正確な測定ができない規模の大きめの川や、流れが複雑な渓流などでは「塩分希釈法」。この測定法の原理は、今の私では説明しにくいので、関心がある方は専門サイトを見てください。

水文調査測定方法

流量測定(地表水)方法

「塩分希釈法」は測定方法自体は簡単です。
上流からドバっと食塩水を投入して、下流に設置した計測器で電気伝導度を5秒間隔で測定します。この電気伝導度の変化の推移で、流速が計算できるのです。

●塩分希釈法:食塩水の投入地点から、電気伝導度計までの距離を測定

●電気伝導度測定器(写真はセンサー部分)

ちなみに投入する食塩は、スーパーで売っている家庭用食塩では不純物(うまみ成分)が混じりすぎているのでダメ。「塩」の看板を掲示している専門店で購入可能な、塩化ナトリウムの純度の高い塩である必要があります。
摩周湖の近辺で、この「塩」看板の店を見つけるのにも苦労したような記憶があります。

私達応用地学科、なかでも陸水学研究を目指す学生は、1年生の時から必須授業、任意の野外調査(巡検と呼ぶ)、任意のプレゼミ活動、任意の環境コンサルのアルバイトなどで、これら、河川の流量測定法を体に叩き込まれていたので、卒論の現地調査ではこのスキルがフルに活用されました。

ちなみに、塩分希釈法を用いるには、上流の食塩水投入者と、下流の電気伝送度測定者の2名が必要です。そのため、現地調査(8月3日〜10日)のうち湧水量調査の日程には、第四紀学研究室の川鍋伸幸君が同行してくれて、共にキャンプ生活をしながら調査に協力してくれたのでした。
卒業後の進路として、私は教師志望、川鍋君は公務員志望だったので、周囲が一般企業の就職活動に精を出す中、私たちは黙々と卒論の調査に没頭していたのでした。
後に私は教員採用試験に落ち、川鍋君は地元の市役所に合格して明暗が分かれます(笑)

■湧水調査に協力頂いた川鍋君とのキャンプ生活での朝食
  (この日は、無人駅のJR計根別駅の駅舎をお借りしました)
 Table.1 湧水量:地名

湧水のNo.6,7,8,9,13の地名や、No16〜20の各支流のA〜Cなる記号は、その湧水に名称が無いことから、私が一時的に命名した仮称ですので、本物の名称とお間違えの無いよう、お願いします。

No.6の「キタタヌキ」は、地形図ではそこにあるはずなのになかなか見つからなくて、生い茂っていた草をかき分けたらそこに隠れているのを発見しました。まるで狸に化かされていたようだということで、北海道ではお馴染みのキタキツネと合成して命名しました(笑)。

■草の下に隠れていた、キタタヌキ(清里の湧水、内田が仮称で命名)
 P.11 4-2-2.流量:全湧水の流量の合計は、摩周湖の地下滲出量の3倍
つまり、全ての湧水を単純に平均すれば、その1/3は摩周湖の滲出水で、残りの2/3は摩周外輪山のカルデラ壁中の地下水ということです。
その下の方にも詳しく記されていますね。
 P.11 4-3-1.水温
8月の夏場なのに6度とか8度とかの川に入って、流量を調べるのですから、そりゃあもう冷たかったですよ(汗)
 P.13 4-3-4.主要成分:@Hexa Diagram

化学分析ではポピュラーな手法です。

このようにグラフ化すると、化学的にはTからWのグループに綺麗に分かれているのが一目瞭然です。
もっともVは、人為的影響がある、つまり、生活排水がちょっぴり混じっているのでグラフはバラバラですが。なお、Vのグループは人為的影響があると言っても、それは他のグループとの比較上の話であって、絶対量で見れば含まれている成分は極めて少ないです。

Vのグループが、ペットボトル飲料水でいえば、程よいミネラルを含んだ天然水といった感じで、他のグループは、少し誇張すれば化学実験で作られた純水に近いほどの混じり気の無さなので、本当は味が何も感じられないのではないか、と思います。 このあたりは味覚の話なので、あくまでも主観ですから悪しからず。

 P.13 4-3-4.主要成分:滲出水にカルデラ壁の地下水が混入し、希釈されたものと見られる

ここでは「摩周湖の滲出水が湧水だ」との仮説に立脚すると化学的な成分の説明がつくということであって、まだ化学分析のこの段階では、「摩周湖の滲出水が湧水」は仮説にすぎません。

4-4章以降の流出率や流出高などの物理的な分析がこの化学的な分析の仮説を裏づけていくのです。

 P.14 4-3-4.主要成分:A主要成分構成比
@Hexa Diagramと、A主要成分構成比のレーダーチャートの違いは、本文中に書かれていますが、大雑把に言えば、@から雑音を取り除いたものがAだと思っていただければいいでしょう。
 P.15〜16 4-3-4.主要成分:B三角Diagram、Key Diagram
私の時代にはMS-DOSベースとはいえLotus1-2-3があったので、データを投入すれば、Fig10(a)、(b)のHexa Diagramを描くのは一瞬ですが、私の先人の時代は、こういうグラフを手で書いていたのです。
一方で、Lotus1-2-3でもFig.12の三角DiagramとKey Diagramは描けなかったので、これらは手書きです。Fig.12にはアナログな努力が滲んでます。
 P.19 4-4-4.基底流出量
基底流出量とは、全く雨が降らなくても河川に湧出している水の量のことです。その涵養機構は、[カルデラ壁中の地下水]+[摩周湖の滲出水]となります。
基底流出量が1.52立方メートル/秒とは、西別川には毎秒、お風呂一杯分程度の湧水が湧出しているとイメージすればわかりやすいでしょう。 すごい量ですね。
■西別川の源流では、毎秒、お風呂一杯分程度の湧水が湧出
  (西別川鮭・マスふ化場)
 P.20 4-5.滲出水と湧水の関係:滲出水とHOR’は数か月のズレでほぼ対応

Fig.20とFig.21で、Seepageが計算で求められた滲出量、HOR’が湖面積当たりの[流出量−降水量]、すなわち湧水の湧出量です。 細かい変動量を消すために3か月移動平均をとったFig.21に注目。

  滲出量(Seepage) 湧出量(HOR’)
上昇 82年10月〜82年11月 83年03月〜83年04月
下降 82年11月〜83年02月 83年03月〜83年07月
上昇 83年10月〜83年12月 83年09月〜84年03月
下降 83年12月〜84年04月 84年03月〜84年07月
上昇 84年04月〜84年07月 84年07月〜84年11月

下のグラフ(滲出量)から3か月〜5か月遅れで、上のグラフが(湧出量)が同じジグザグのグラフ(上昇と下降の折れ線グラフ)を綺麗に描いていることが分かります。

え?そうは見えない?
それでは、もっと分かりやすいように、下のグラフと上のグラフに補助線を引きました。

■Fig21に補助線を引いた図

これなら下のグラフから3〜5か月遅れで、上のグラフが描かれていることがわかりますよね。

つまり、摩周湖から漏れた滲出水(下のグラフ)が地下を伏流して、3か月〜5か月後に湧水として西別川に湧出(上のグラフ)しているということなのです。
下のグラフ(滲出量)よりも上のグラフ(湧出量)のほうが量が多い理由は、滲出水の他に、カルデラ中の地下水がほぼ一定量で供給されているためという推測です。

滲出量も、湧出量も、各所に分散されて保存されていた実測値(湖面の水位変動量、降水量、西別川の流量等)を私が足でかき集め、実測値がない指標(集水域からの流入量、湖面からの蒸発量、地下滲出量等)は、その他の実測値(気象データ、地形図からの面積測定等)を基に、陸水学の知見による計算式で導き出しています。

これらの気の遠くなるような膨大な数値を、1か月以上もの力作業でLotus1-2-3に入力し、集計方法を何度も堀内教授にご指導いただきながら、計算を積み重ねて編み出した理論値がこのグラフです。
その理論値が、最終的にこれほど綺麗に一致するフラフを描いてくれたのを見たときには、嬉しくて涙が出ました。

 P.22 謝辞:マン・ツー・マンのご指導をいただいた堀内清司教授

心から尊敬している恩師の堀内教授とは、卒業後も毎年、年賀状の交換がありました。教授からの年賀状には、大学退官後も世界中の美しい湖沼を巡っている、自然愛・知的さ・ユーモアなどが織り交ざった闊達な写真が毎年描写されていました。

30年間続いた年賀状が昨年(2016年)から来なくなって寂しいと思っていたら、2016年2月にご逝去されていたことを後に知りました。
このWebサイトを作ったことは、期せずして私から堀内教授への鎮魂歌にもなりました。

 P.22 謝辞:適切な指針と親身の助言を与えてくださった田場穣教授

陸水学研究室には、堀内教授のほかにもう一人、田場教授という素晴らしい先生がいました。田場教授には、研究だけでなく、進路相談にも親身の助言を頂きました。

私が卒業後の進路で、陸水学研究室としては国立公害研究所(現:国立環境研究所)と並んで花形の就職先だった建設省(現:国土交通省)のダム管理はどうかと相談すると、先生は「今後はもうダムは作られなくなるので下火だ。うちの学科が君たちに教えたのは専門分野だけではない。物事をどう捉えてどのように考え、どのように活かすかという総合的な対応能力だ。この能力は社会のどの分野でも役立つ。分野にこだわらず好きなところに行け。」とおっしゃいました。

2000年に長野県知事に就任した田中康夫氏が脱ダム宣言を公式発表したのが2001年。それ以降、日本ではコンクリート製のダムの建設が急速にしぼんでいきました。
田場教授が私に「もうダムの時代ではなくなる」と指導してくれたのはこれより10年以上も前の話。卓見でした。

「先生、それじゃ僕、うちの学科と全然関係ないけれど
    山一證券に行っていいですか?山一證券に、安田成美の中国ファンドのポスターを欲しいとお願いしたら貰えて、その時の対応がとても親切で気に入っているんです。」
田場教授  「おお、行け」

こんな進路指導があって、私は、どの企業も採用面接がほぼ終了していた9月だったにも関わらず、また、ほとんど民間企業向けの就活をしていないのに、バブル絶頂期で文系にも理系にも人気企業だった山一證券の面接を受けたのです。そして、当時の山一はコンピュータを扱える理系学生を100人も採用していたことも幸いして、四大証券と言われた一流企業に入れたのでした。

その10年後に、山一證券は経営破たんしてしまうのですけどね(涙)




2.朝日新聞「続・北の火の山」の裏話

 続・北の火の山:私の卒論が取り扱われたきっかけ

この記事は、「北の火の山」のタイトルで朝日新聞の北海道版に連載されていた、北海道の火山を特集したシリーズの第三作目だそうです。のちに単行本としても発行されています。
本作では、アトサヌプリ(硫黄山)、摩周岳、知床硫黄山、羅臼岳(いずれも摩周と知床の火山)が扱われています。

著者の小池省二記者は、摩周岳を取材中に、摩周観光センター(現:釧路圏摩周観光文化センター)で私の卒論を発見し、堀内教授や私への取材に至ったとのことです。
卒業後、10年目のことです。

 親会社の経営破たんに伴って倒産

私は山一證券から、システム子会社に出向していました。
山一證券は1987年11月に自主廃業。つらい思いをしましたね。

 摩周湖解くカギ 子の名に

摩周湖周辺湧水のひとつ、神の子池を訪れると、その不思議な青さに魅かれて、私は1時間も2時間も佇みます。
神の子池では、目に見えない何かの力が湧き出で来て、自分の体に満たされるのを感じます。とても清々しい気分になります。

結婚してから長男が生まれるまでの間、気功と太極拳を夫婦で習っていたので、気功でいうところの「気」の流れを感じることができたからかも知れません。

身籠っていた女房と、日本一の湧水量を誇る柿田川湧水(静岡県清水町:富士山に降った降水が地下を伏流して湧出)を訪れた時も、気持ちのいいものが湧き出てくる非常に力強いパワーを感じました。
生まれてくる子の名前の候補はいくつかあったと思いますが、その時夫婦で「湧水」しかない、と運命のようなものを感じました。

息子には、「神の子池」や「柿田川湧水」のように、人にパワーと清々しさを湧き起こす人になってほしいという祈りを込めて、湧水(ゆうすい)と名付けました。

今年2017年は、その湧水が、大学に卒論を提出し、社会に巣立つ年でもあったので、「卒論に悔いを残すな」と檄を飛ばしていたことも、このWebサイトの立ち上げを後押ししました。

湧水は私の実家の北鎌倉でフィールドワークを重ね、社会科学の卒論を書いたそうです。 いつかそれを見せてもらいたいと思います。

 

 

 




3.摩周 水環境フォーラムでの講演の裏話

 摩周・水・環境フォーラムとは

摩周・水・環境フォーラムは、西別川流域全体の産業活動と環境保全が同時に進む地域づくりを考えるフォーラムです。
摩周水環境保全実行委員会が主催、西別川流域の各自治体(弟子屈町、標茶町、別海町)の後援で、2002年から毎年開催されています。 (2017年5月29日には第15回が予定されています)

【開催趣旨】

聖なる湖、摩周湖を起源に発し西別岳の麓、標茶町虹別に源流として流れる西別川は流域に住んでいる私達に多くの恵みをもたらすと共に根室湾全体に豊かな漁場を作ってきました。

しかしこの恵みの流れも、産業の発展と共に水量が減少し、河川環境の悪化が問題となってきました。このような中、行政や各種団体 と流域住民の手で少しでも昔の環境に近づけるべく植樹活動や家畜糞尿の処理改善運動が進みつつある現状です。
私達の願いは「大気と森と川と海はひとつ」を合言葉として、産業活動と環境保全が同時に進む地域づくりです。限り有る水資源利用 を考え、このフォーラムを開催します。

 摩周・水・環境フォーラムの講演を依頼されたきっかけ

私は、第1回目の摩周・水・環境フォーラムの講演を依頼されました。
卒業後15年目のことです。

なぜ、卒業後、摩周湖や湧水の研究とは無縁の生活を送っていた私の存在に気が付いたのか、そして、第1回目という非常に重要な企画の講演に、私のような無名の者に白羽の矢を立てたのかを、舘定宣会長にお伺いました。
すると、私の卒論を読んだことがきっかけだったというのです。
私の卒論の存在を知った経緯までは聞きそびれましたが、朝日新聞の記事をご覧になったか、あるいは、主催団体のメンバーの「日本ドナルドソン・トラウト研究所」の大橋勝彦さんに、卒論コピーを寄贈していたからだと思います。

 日本ドナルドソン・トラウト研究所の大橋勝彦さんとの出会い

シュワンベツ川(卒論のFig2やTable.1のNo.15)での湧水調査では、同川の上流に位置する日本ドナルドソン・トラウト研究所の施設に、飛び込みで入らせて頂きました。
採水・水温測定などの後、所長の大橋勝彦さんにヒアリングを始めると、大橋さんはいきなり同研究所で孵化しているドナルドソン・トラウト(虹鱒)を網で何匹もすくってきて、その場で焼いてご馳走してくれたのでした。

当時の同研究所は、ドナルドソン・トラウトの養殖を事業化しようとしていた頃と記憶しています。後に市場に高級魚として出回るドナルドソン・トラウトは、まさに絶品でした!

湧水の現地調査では、多くの地元の方々に支えられました。大橋さんとの出会いも思い出に残るエピソードで、それが、15年後に「摩周・水・環境フォーラム」に招待されることに繋がりました。縁とは不思議なものです。

■シュワンベツ川

(水面に浮かんでいるのは、「バイカモ」という藻です。バイカモは清流でのみ生息し、水面に可憐な花を咲かせる、それはそれは美しい藻です。 バイカモは第2回摩周・水・環境フォーラムの演題にもなりました。)
■シュワンベツ川に掲示された、水利使用標識
■日本ドナルドソン・トラウト研究所(1987年)
 講演スライドの作成

卒論作成時の1987年には、パワーポイントはおろか、Windowsすらなかった時代ですから、プレゼン用ツールと言えば、オーバーヘッドプロジェクタ(OHP)とOHPシートでした。

摩周・水・環境フォーラムでの講演は、その15年後の2002年。 パソコン環境は大きく進歩を遂げ、プレゼンと言えばパワーポイントが定着していたので、卒論のプレゼン資料を、初めてパワーポイントで作成しました。

聴衆者の大部分は研究者ではなく一般の方々なので、学術的な内容をできるだけ易しくかみ砕いて再構成してみました。

私は、卒論で証明したことを多くの人に知ってほしいと思っていたので、そのためにも小難しい学術論文を易しくビジュアルに作成できたのは、ちょっと嬉しかったです。

 写真

講演資料や、このサイトで使われている写真の大部分は、卒論作成の現地調査時(1987年8月)に撮影したものです。当時はまだデジタルカメラが誕生しておらず、カメラはフィルム式でしたので、これら写真の元は、写真屋さんでプリントした紙です。

その15年前の古いプリント紙を、2002年当時にようやく普及し始めた初期型の家庭用スキャナーで何時間もかけて、講演用にスキャンしました。

そのため、画面全体が暗くなってしまっているので、ご容赦下さい。
実際の湧水はもっと透き通っていて、神の子池は限りなく青く、摩周湖の遠景は摩周ブルーと呼ばれる紺碧なのです。

 パネル・ディスカッション

第1回摩周・水・環境フォーラムは二部構成で、基調講演を私が行い、第二部ではパネル・ディスカッションが行われました。

パネル・ディスカッションのパネラーは、私、標茶町長、別海町長、弟子屈町長、主催者会長、摩周湖世界遺産実行委員会委員長、別海漁協婦人部長、シンガーソングライターのしらいみちよさん、他の皆様でした。

普通の人が、自治体の首長(それも3人も)と一緒にパネリストとして壇上に上がると、萎縮したり緊張したりすると思います。
でも、私は公開討論会を全国に普及する活動の代表なので、政治家との会話はお手の物(笑)。
登壇後、各町長には、「あなたの次の選挙で公開討論会が開かれたら必ず出席してくださいね!」と厚かましくお願い(笑)したほど、二部にはリラックスして臨めました。

 

 

 


 


 

 

Presented by Yutaka Uchida
更新日 2017年05月20日