大学の卒論で、「摩周湖から漏れ出た湖水が、周辺に湧水(ゆうすい、湧き水のこと)として湧き出ている」との言い伝えの科学的な証明に情熱を注いだ。
国立公害研究所(現:国立環境研究所)の調査で同様の推論が行われていたものの、学問的な裏付けが無かったので、同推論を行った教授からこの謎を解明するよう、頂いたテーマだった。
理学部の地学科で湖・河川・湧水を専攻し、1年生の時から授業やプレゼミ活動で全国に現地調査で飛び回っていた。旅行やミステリーも好き。そんな私にとって、当時世界一の透明度を誇り、神秘の湖として愛される摩周湖と湧水をテーマに与えられたのは願ってもないことだった。
担当教官の堀内清司教授は、摩周湖研究の権威。
普段は人気の研究室なのに、何故かその年に限って堀内研究室の4年生は私一人。
その境遇で教授からマン・ツー・マンの指導を受けたから、手を抜けるはずがなかった。
卒業後は高校の理科の先生になるつもりだったので、周囲が就職活動に精を出す期間中も研究に没頭した。
1年間の苦心の末、「摩周湖から漏れ出た湖水が、周辺に湧水として湧き出ている」ことを科学的に立証した。同大学・同世代でトップレベルの卒論を提出したという達成感があった。
私の研究室では、現地での調査にご協力頂いた方々への御礼として自分の卒論を提供する決まりだったので、コピーを用意して、北海道釧路開発局、摩周観光センター資料室その他数か所に寄贈した。
教員採用試験に落ちたので、卒業後は金融機関に就職することになった。これで、卒論とその研究成果は忘れられ、私は科学とは無縁となるはずだった。
ところが、時が巡り、この私の分身ともいえる卒論のコピーが、不思議な影響を及ぼすことになる。
卒業して10年後、私の卒論が朝日新聞の記者の目に留まり、恩師の堀内教授の解説付きで記事になった。摩周湖と周辺湧水の謎が分かりやすく魅力的に報じられた。また、私が長男を「湧水」と名付けた、ちょっと照れくさいエピソードが見出しになった。
さらに5年後、摩周湖の湧水を起源とする「西別川」の環境保護団体が主催する環境フォーラムに招かれ、卒論の研究内容を講演させて頂いた。
私は、摩周湖から漏れ出た湖水は3〜5か月を経て湧水として湧出していることを発見した。私の卒論はもっと時間をかけて、10年後、15年後に社会にクローズアップされることとなった。
現在では、私が証明した摩周湖と湧水の関係は、半ば定説として、地元の観光や産業に貢献している。
あたかも、科学や医学の基礎研究の成果が数十年後にノーベル賞として認められ、さらにその後応用されて実社会に役立っているのと似たような、時間の熟成感覚と満足感があって、嬉しい。ノーベル賞の大科学者と一介の学生とではスケールが違いすぎるが、笑ってお許し願いたい。
卒業して30年が経過した。今では同じ”水”でも、”水泳”に力を入れている。 練習後のジャグジーで同じスポーツクラブの友人と会話していた時に、友人が湧水のファンと知り、意気投合した。
友人が目を輝かせて囁いた。
「内田さんの卒論が読みたい。。。」
卒業して30年も経て、三度、私の卒論を必要とする人が現れた。
なんと有難いことだろう。
おりしも長男の「湧水」が卒論を提出し、社会に巣立つ年でもあったので、「卒論に悔いを残すな」と檄を飛ばしていた。
そんなことがあり、卒論をデジタル化して記録し、公開しようと思い立った。
2017年5月20日
内田 豊(日本大学文理学部応用地学科を1988年に卒業) |