鎌倉市長選・神戸市長選・宮城県知事選公開討論会
〜公開討論会3連発〜

GCFレポート巻頭言(98年11月号掲載)
リンカーン・フォーラム代表 小田全宏


  10月はリンカーンフォーラム フル回転の月でした。6日の鎌倉、10日の神戸、22日の宮城、さすが3連発は大変でしたが、どこも大変な反響でした。

  鎌倉市長選は、当初、現職に対する対抗馬が出なかったために、公開討論会は無理かなと思っておりました。ところが、1ヶ月前になって突然、経済企画庁の官僚の方が立候補することになり、急遽鎌倉へと飛んでいったのです。

 私の知人で松下政経塾出身、藤沢市議の海老根保典さんの協力を得て、鎌倉でこの公開討論会をやってくれる人を探したのです。しかし鎌倉はさすがに、土地柄政治に拘わっている人が多く、中々中立な人というのが見つかりませんでした。その時、名乗りを上げてくれたのが、慶応大学の湘南キャンパスの諸君でした。8人のメンバーでしたが、この公開討論会の意義と実施方法にといて、2時間程話した後は、まことにあざやかな手際で公開討論会の運営にあたってくれました。

 おそらく今まで行った公開討論会のなかで、最もシステマティックに運営されたものの1つではなかったのかと思います。

 実際の運営については、割愛しますが、公開討論会の時のテーマも、市民に事前にアンケートをとり、それをビデオにするという念の入れ様でした。

 当日は、300人の会場に500人以上の人が集まり、大変は盛り上がりの中、両候補は壇上でかなり激しいバトルを繰り広げました。リンカーン・フォーラムでは、決して真正面からのディベートを行っている訳ではありませんが、やはり議論が白熱していくと、かなり激しい両者のやり取りが表れます。

 終了後のアンケートで、約9割の方が、「このような会の開催を待ち望んでいた」という回答を下さいました。しかし、一割ぐらいの方からは、「もっとディベート的なものであってほしい」とか、できる限り厳正に中立を保たせたつもりなのに、「運営上、相手側に肩入れしている」などという声が聞こえてきたのは、いささか残念でありました。この記録はまた、公にしたいと思います。

 さて、この鎌倉市長選をはるかに上回る難儀を極めたのが、宮城県知事選でした。私の友人で仙台在住で企業教育の仕事をしている藤田さんが、9月上旬に東京に来た折、2時間ほど食事をしながら、公開討論会の実施を依頼しました。しかし、彼は、言下に「私はできません。」という答えです。「どうして」と聞きますと、「私は力がありませんから」との答えに、私は即、「いや、力がないからこそできるのです」と返答しました。最後に「やってくれますね」となかば強引に回答をせまると。彼はしぶしぶと引き受けてくれました。(後で聞いた話ですが、それから2日間、彼は熱を出したそうです・・・)

  彼自身も半信半疑ながら始めてみると各方面から、いろろな反応が表れました。新聞社も各社、市民団体も公開討論会実施に注目し、新聞にもいくつもの記事がのりました。候補者の方々も始めは結構乗り気でした。ご存じの様に、今回の宮城知事選は、特異な状況の中で、全国から注視の選挙戦でした。脱政党を掲げる浅野現知事と自民新進連合の市川氏との一騎打ちという事で、ここでの勝ち負けは、国政にも一石を投じることにもなります。

 是が否でも、この両者の公の場での公開討論は実現したいところでした。  しかし、ここで宮城の選挙管理委員会が、この公開討論会の実施が「事前運動のおそれがあり」と、中止を命令してきたのです。

 今まで、いくつも実施してきたにもかかわらず、このようなことは始めてでした。選管はとにかくだめの一点張りで、結局、各候補とも「法的に問題があるので出席できない」という回答を送ってきました。全くばかげた話で、藤田さんもしょげていましたが、自治省の課長に問い合わせたら、「特に投票依頼をしなければ、問題はない」という返答がきました。そして、そのことをマスコミを通じて公表しようとしていたら、運よく「アエラ」がこれを取り上げてくれました。これはかなりインパクトがあり、また、宮城の新聞の論調も「公開討論会開くべし」に傾いてきました。両候補とも、すこしずつ考え直してくれそうな気配でした。しかし、時間は刻々とすぎていきます。選挙告示日まであと数日を残すのみです。タイム・アップ!残念ながら頂上をそこにみながら、断念せざるをえませんでした。選挙戦が始まればもうできません。私は藤田氏と撤退宣言について話し合っている、その時「ちょっと待てよ。選挙が始まってからできる方法はないか?」という思いが頭の中をかすめました。そうすると、一つだけ方法があったのです。
(以下次号)







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更新日 2000年11月28日