ええ、今日は自民党で最も弁舌のさわやかな深谷さんと、共産党では、まあ1番目といって良いか2番目といって良いか分かりませんが、志位さんと一緒ということで、やってまいりました。まあこの会に小田さんから話があったときに、昔は立会演説会というものがあったんだそうですね、といわれました。実は私も、昭和51年から選挙に出ては落っこちておりましたので、立会演説会というものを何回か経験しております。そのころはですね、確か17分間、1人の候補者がしゃべって、1分休んで次の候補者がまた17分間しゃべるわけ、私の選挙区で言いますと15ほど市がありましたので、大体各市でT回ずつ行っておりました。他の陣営はですねそれぞれの公認候補が来ると、講演会とか党とかが、だっと動員をかける。その動員を前にですね、喋ると拍手が出たり、まあときどきは相手陣営から野次が飛んだりするわけであります。
まあしかし私の場合は、最初の選挙は無所属でありましたし、その後も小さな政党でありましたので、動員がほとんどかからない。ただ幸いなことには他の候補者が動員をかけた人が早めに来て私の話を聞いてくれたりですね、前の候補者の人が残ってまあ面白そうだから聞いてみようかといって聞いてくれる。5年経ち10年経ち15年経ったときにですね、「やあ、菅さんの話若いころ聞きましたよ。」どこで聞かれたんですか、って言ったら「いやどこかの立会演説会で聞きました。」あの時どうして来られたんでかって「いや、誰かの応援に行ったんだけど菅さんに入れましたよ。」って言われてですね。いやこりゃ立会演説会ってのは良いもんだと思ってましたので今日このお話があったときに、これは出てこなければとおもってやってまいりました。
まあ、演説とか弁舌とかいうものを、私は組織的にというか勉強したことはありませんが、ちょっと思い出してみますと、私が学生時代のとき、ちょうど大学がにぎやかなときでありまして、私が行っていた東工大という、わりと学生運動が地味な大学であってもですね、当時300名ぐらい講堂にどっしり集まって、学生大会を開いたことが何度かありました。私はもあるグループのまあリーダになることになりまして、そこで演説をすることになったんですが、最初はその3000名の熱気でですね、言ったことは言ったんですがなんとなくこう、話が上手く伝わらない、必死になってしゃべったのを、思い出しております。ただそういう場に何回かさらされているうちにですね、なんとなく呼吸が分かってきまして、ここでこういう風に言うと、こう、なんていいましょうか、反応がわっと来る。こういうと逆に、リアクション遅れてわっと来る。まあそういうふうな呼吸が、なんとなくつかめてきまして、しばらくするとその演説によってまあ、採決をやるわけですが、採決に対しても多少は影響がですね、出てきてると、まあそんな感じがしたのを、覚えております。まあそんな意味では、あの、演説というものが持っている力というのは、やっぱり一番大きなものであったのかなと、私にとっては学生時代の自主トレーニングが、あるいは今日に、つながっているのかもしれません。
まあもう一つだけいいますと、私は市川房江先生の選挙なんかを手伝ってたんですけれども、アメリカでは婦人有権者同盟という組織が、大統領の、毎回選挙で公開の討論会を主催をしております。まあそういう関係で日本でもですねそういう動きをその関係の人達が今も続けておられるわけで。どうも日本の演説というのは、あのワンウェイの演説はですね、あるわけですけでも、こういう形でお互いに討論するという場面はですね、逆にTVのそれこそサンデープロジェクトとかという場面をのぞくと、非常に少ない感じがしております。ですから私もこれからもっとですね、まあそういう学生大会なんていうのは、相手が言ったこともうこっちの陣営がまたぼろくそにこき下ろして、またあのいわばやりあうわけですが、まあそういういわばそれぞれが言い合って、それを聞いてる人がですね、その中で判断していくという、そういう一方的な演説からですね、まさに討論という形がもっと増えていけば良い。まあ幸いにして先日、この3党含めて賛成をしたあっ、共産党だけ反対されましたか、国会の活性化法というのがとおりまして、来年の通常国会からはですね、時の総理と野党の党首が週1回40分間、1対1で討論するという場面が生まれることになりました。私はこれによって日本の政治は変わってくるんではないか、このように思ってまして、そのときは、早稲田の雄弁会で最も演説の下手だった総理で持たないで、最も上手かった深谷さんに変わってるかもしれないなと、まあそんなことを思いながら、深谷さんの話も聞いていただくと。とりあえず3分間になったでしょうか。
|