福島県原町市長選公開討論会

〜はらまち公開討論会顛末記〜


大場秀樹(松下政経塾第16期生)

 

 昨年10月、私の研究先の米国ミシガン州ジャクソン市で、市長選挙が実施された。現職36歳、挑戦者市議33歳の激しい選挙戦であったが、連日各候補とも新聞紙上で政策を訴え、また、市民を集めた公開討論会で自らの政策と政治理念を有権者に訴えていた。

 米国でのこうした選挙スタイルに私は大変感銘を受け、地元商工会議所青年部会長小川尚一氏に、本年3月の地元福島県原町市長選挙で、立候補予定者を招いた公開討論会が実現できないかを相談した。そして2月27日、理解を示してくれた市内の若手経営者を中心に「はらまちで公開討論会を実現する市民の会」を結成、私は代表を務めることになった。上は46歳から下は28歳の計17人が発起人となり、両陣営申し入れ、記者会見を3月5 日、開催を18日と決定した。

 こうした短期間に多くの発起人の参加と協力が得られた背景には、市長選挙が前回、前々回無投票、前前々回が共産党と現職との戦いであり、本格的に保守陣営の分裂選挙は実に16年ぶりである。現職市長が五選を目指し、それを阻止しようと前市会議長が立候補を表明したからである。つまり、36歳までの市民は一度も市長選挙を経験したことがなく、争点や政策の違いが今一つはっきりしないことがあげられる。

 我々はこうした状況の下に、立候補予定者の政策や理念の違いを市民に知らしめる機会を提供する。発起人は若手経営者が中心であり、最年少の私が代表となることから、近年政治離れの著しい若年層の政治参加を促す。そして何より、飲み食いや親戚に頼まれたというレベルではなく、政策を基準に政治家を選ぶという政治風土をこうした地方都市に根づかせることを目的としたものであった。

 我々が最大限配慮したことは、中立性の確保である。もしどちらかの陣営が、この会が敵陣営を有利にするものと判断されたら欠席され、会自体の開催が危ぶまれるからだ。まず、発起人は両陣営いずれかに明確な立場を表明した人から、完全な中立の立場までバランスをとった。当日の運営は、コーディネーターを地元に完全に縁の無い白井智子松下政経塾生に依頼し、質問内容は事前に両方に伝える。当日は一問一等形式の討論であり、発言時間も 5分以内の回答と完全に公平にした。

 3月5日、両陣営に正式依頼と記者会見。マスコミ各社には我々の目的と趣旨を理解いただき、次の日の朝刊には県内版に大きく取り上げてもらった。 朝から代表の私と事務局にはたくさんの市民から問い合わせがあり、市民の反応もよかった。両陣営には開催1週間前の11日に出欠の回答をいただくことにした。 そして3月9日、一方の後援会会長から私あてに欠席の回答をもらった。

 もう一方は参加を表明しており、彼らが、参加を表明すれば、討論会は実現できた。今回の市長選挙に際しては、正式に立候補を表明している予定者は 2名であり、討論会は発起人会議で「中止」と決定した。片方の陣営の回答書には理由として次のことが書かれていた。「本討論会は公職選挙法第164条3項に抵触する恐れがあり、法に抵触の恐れがある討論会への出席は、厳に慎めべきであると後援会幹部会で決定しました」。

 しかし、こうした市長選挙立候補予定者を招いた政策公開討論会は京都、神戸、鎌倉、そして先週には横浜で開催されており、討論会自体は公選法が禁止する「事前運動」にはあたらないと我々は判断していた。自治省選挙課、福島県選挙管理委員会、原町市選挙管理委員会とも同様な判断を下している。

 ただ、討論会最中に、出演者が政策や理念ではなく、直接の投票依頼と受け取れる発言をした場合、違反に問われる場合もある。つまり、これを片方の陣営が懸念したものと思われる。

 そもそも国政や県知事選挙では政見放送があるが、地方選挙では「公報」しか候補者の政策・理念を知ることができない、そして何より候補者同士が一堂に会して同一の質問に答える機会は皆無である。したがって我々はどうしてもこの討論会を実現したかった。慙愧に絶えない。もう一つの陣営は、立候補予定者が発言に気を付けばいい話であり、堂々と相手を論破してほしかった。

 こうして我々の公開討論会は中止となったわけであるが、大半の人々には目的と趣旨をご理解いただいたものと確信している。みんなが望む公開討論会、これに少しでも疑義を与えるような公職選挙法は早期改正すべきである。

 発起人各位、そして報道機関には多大なご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。そして候補者と「理念」ではなく、「利益」で結びついている人々、いまだに政治と選挙は別物だと勘違いしている「古い世代」にはこの世からご退場願いたい。
 







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更新日 2000年12月7日