宮城県知事選公開討論会
〜宮城知事選公開討論会はいかに実現したか〜

GCFレポート巻頭言(98年12月号掲載)
リンカーン・フォーラム代表 小田全宏


 先月号で書きました様に、宮城県知事選での公開討論会の実現は、非常に困難をきわめました。宮城県選管委員会が"選挙違反の恐れあり"との通告をしてきてから、各陣営とも公開討論会不参加の返答を送ってきたのです。我々としては、今まで何度となく、公開討論会を実施してきて、ただの一度として選挙違反になると言われた事はありません。自治省の選挙課にも問い合わせ、マスコミにも働きかけました。

 そうしますと、アエラが、この公開討論会の正当性を主張した記事を掲載してくれたのです。そうしますと、宮城のマスコミも、公開討論会やるべしと方向を転換してくれたのです。しかし、もうその時はすでに選挙告示の数日前でした。タイム・アップ!残念ながら、頂上をそこに見ながら、断念せざるをえませんでした。選挙戦が始まればもうできません。私は藤田氏と撤退宣言をいかに記者会見で発表するかを考えていました。

 とその時、私たちの頭に、「ちょっと待てよ。選挙が始まってからできる方法はないか」という思いがよぎったのです。  公職選挙法では、選挙が始まってしまえば、私たちの様な第三者が全候補者をよんで、公開討論会を開催することはできないことになっています。  常識的に考えれば不可能な事です。しかし選挙法をよーく見つめてみると、ただ一つだけ方法があることが分かってきました。  選挙戦になると、各陣営は、連日連夜、人を集めて演説会をやって各候補は、支援を訴えます。その演説会を、各陣営がお互い声をかけあって合同で行うという形式ならできる可能性があることが分かってきました。

  しかし、選挙とはまさに生死をかけた戦いです。そういう最も緊迫した瞬間に、お互いが平気な顔で同じ壇上に会すことを受け入れるだろうか。できるかどうかということよりも、少なくとも、今だかつてこういう試みは、全国どこをさがしても、あったためしがありません。私たちは思案にくれました。こういう無茶な提案をしても、きっとバカにされるか叱られるぐらいがおちです。しかし、もうここしか実現の道はありませんでした。私たちは最後の賭けに出ました。

 藤田氏は翌日各候補のもとをたずね、三候補行動での演説会の実施をよびかけました。そうするとなんと、浅野さんは「あなたたちの熱意に打たれた」と言って、出席を快諾して下さいました。共産党の高橋さんも同様に出席という返事が返ってきました。しかし、この私たちの提案に、仰天したのは市川さんの陣営でした。市川陣営は、私たちが一番最初に公開討論会参加を呼びかけた時、出席の意志はあるが、法律の問題があるので、今回は見合わせておきたい。もし法的問題がクリアーされれば、選挙前でも、選挙後でも出席する旨のFAXを2週間以上の前に送ってきていました。

  今回その法律問題がクリアーされたのです。法的にもはや何の問題もありません。私たちは、今度こそ胸をはって申し込めるのです。しかし、おそらく市川陣営では、法律問題が解決されることとは思っていなかったのではないでしょうか。「出席したいのはやまやまですが、いろいろとたてこんでおりまして・・・」と何ともはぎれの悪い返答です。「浅野さんと高橋さんは『いつでも行く』とおしゃっています。どうぞ一日でもけっこうですから、日程をだしていただけませんでしょうか」と藤田氏は事務局にお願いしました。「一日待って・・・」「二日待って・・・」という返答が続く間に選挙が始まり、選挙が盛り上がる中、私毎日くりかえしお願いしました。しかしやはり選挙は"戦"です。こんな票になるかどうかわからない公開討論会に出席することは、彼らにとって面倒この上ないことです。日ましに、市川陣営のイライラもつのり、私どもへの対応もぞんざいになってきました。

 そして、これはオフレコですが、ある筋から、藤田氏のもとは、「いらんことをするな。あんまりしつこいと仙台で生きていけなくなるぞ」と半分脅迫じみた電話までかかってくる始末です。電話で彼を励ましながら、私たちは粘りました。そうしますと、選挙戦も中盤を過ぎた10月20日、市川陣営から、公開討論会出席の返事がいよいよ来たのです。しかし、そこに提示された日程を聞いて、私たちはたまげました。「あさっての10月22日、午後9時30分以降なら出席する」というのです。あさってというのもあまりにも急なら、午後9時30分から公開討論会を開くなど考えられないことです。

 せっかく日程が出てきたといっても、これではいかにも非常識ではないか。浅野氏も高橋氏もこんな日程を示されれば、さすがに怒りだすのではないかと思い、私たちは二の足を踏みました。しかし、もはやどうすることもできません。私たちは、ありのまま浅野氏と高橋氏に伝えました。そうしますと、あにはからんや、両氏とも「よし、受けて立とう」と、この申込みを受け入れて下さったのです。

 有難いと思いました。しかしこれからが大変でした。場所がないのです。午後9時30分から使用できる公共の施設はどこにもありません。そうなるとホテルです。しかしどこもこんな遅くからは、貸してくれません。ようやく800人収容の部屋のあるホテルを見つけたのですが、費用が100万円と聞いてこれもアウト。急なことでもあり、相手もこちらの足もとを見てくるんですね。もうだめかと思いつつ、最後に電話をかけたメトロポリタンホテルで、500人用の部屋が空いていました。費用は30万円。高いと言えば高いのですが、もはやここしかないと、予約をいれました。

  その日、各陣営から2名づつの責任者と、各新聞社の方々に集まってもらいました。まづ、藤田さんは「今回行われる合同の演説会は、全国でも始めての試みです。是非すばらしい会になります事を祈っています」と話し出し、ルールを説明しました。その説明後、「ところで、今回、会場費が30万円かかりますが、どういたしますか」と切り出したのです。各新聞社の記者達の注視の中、しばしの沈黙の時が流れました。

 その時、ある陣営の一人の方がポツリと、「やっぱりこれは各陣営の折半ですな」と言ってくれたのです。これでお金のことは一件落着しました。それで、今度は集客の方に話題を移しました。私たちは、今まで公開討論会を開く時は、各陣営に動員を求めたことはありません。しかし、今回はあまりにも急なことでした。この集客に関しては、二つの恐れがありました。それは会場がガラガラという事態と、反対に一人の候補者の応援団で、埋め尽くされるしまうという事態の発生です。さて、どうするか。

  そこで、一計を案じました。各陣営に160枚づつの整理券をわたしまし、この人数までなら、自分の関係者の人達をつれて来てもよいことにしたのです。しかし、これだけでは、一般の人達が参加できません。そこで各新聞に公開討論会の開催を大きく告知してもらうことにしました。そして、その記事を見て、参加を希望する人は、各陣営どこからでも整理券をもらえば、参加できることにしたのです。 次の日、そして当日と各陣営の電話はこの公開討論会参加の申し込みでなりっぱなしになったのです。

  そして当日、見事に500人の会場は立すいの余地がないほど埋まり、三候補による熱のこもった討議が繰り広げられました。  2時間の時間は、またまくまに過ぎ去り、最後会場は来られた方々の万雷の拍手の中、閉会したのです。  次の日、各紙は全面に、この公開討論会の成功を報じてくれました。中には当日、参加された方々の賛辞の声を拾い集め掲載してくれた新聞もありました。

  会は大成功でした。そしてさらに、この試みは、参加された候補者の方々も、同様に喜ばれました。初めから積極的に参加して下さった浅野氏、高橋氏はもとより、最後まで中々快諾していただけなかった市川陣営も「候補の人柄を県民の皆様に知っていただいた」と、手放しの喜びようだったのには、私も驚きました。

  10月26日の投票の結果は皆様もご承知の通り、浅野氏の圧勝でしたが、この公開討論会は、サンデープロジェクトにもとりあげられ、日本の選挙の在り方に確実に一石を投げたと思います。

 今、この宮城県知事選の成功を受けて、全国から、続々と「私たちもやりたい」という声があがっています。  間もなく、日本の政治が静かに、しかも激変していく胎動をひしひしと感じています。

 この公開討論会が終わってから、藤田氏が、ポツリと言った「自分一人の力がこんなに凄いとは思っていませんでした」という言葉こそ、私たちの活動を最も象徴していると思います。
 







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更新日 2000年11月28日