公開討論会への道のり

 

 

 

  公開討論会への道のり

 

  公開討論会とは

 本書を手にされる方は少なくとも政治や公開討論会に関心があってのことでしょうから改めていうまでもないことかもわかりませんが、公開討論会とは何かお話ししておきたいとおもいます。私たちが提唱している討論会は日常的に行われる討論会ではなく、選挙(市町村長選挙、知事選挙、衆議院選挙、参議院選挙、各種議会選挙)時においてそれぞれの候補者の政策やビジョンをたたかわしていくものです。大体、選挙告示日前数日のうちのどこか夕方約2時間ほどで行われる討論会のことをさします。この討論会で各候補者は、事前に提示された議題に従って自分の考えを述べ、お互いに質問や意見を述べていくものです。発言の順番や発言時間はできる限り公平を期し、お互いの誹謗中傷合戦は禁止します。それを有権者が耳を傾け自分自身の判断基準を得ようとするものです。ひとつの選挙において1回の実施を原則とします。いってしまえばこれだけのことであり、当たり前といえば当たり前のことでありましょう。ではなぜこの公開討論会が5年前まで日本にほとんど存在せず、現在までどのように発展してきたかお話したいと思います。

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  なぜ公開討論会が始まったのか

 私が主宰する地球市民会議・リンカーン・フォーラム(編集部注:リンカーン・フォーラムは2000年11月に地球市民会議から分離・独立した)が呼びかけて、今日まで1998年の参議院選挙や1999年の統一地方選挙、2000年の総選挙も含めて300回を超える公開討論会が開かれてきた。どの会場でもひとが溢れ大きな熱気につつまれた。
 私がこの公開討論会の実現を目指したのは、政治改革に対する失望が出発点であった。かつて自民党の一党支配が続いていた頃、金権腐敗が国民に指弾され政治改革の機運が高まっていった。その中で政治改革は選挙制度改革へと軸足を移行させていった。

  要するに、政治腐敗の原因が中選挙区制にあるのだ、という考え方である。
  中選挙区制だと、サービス合戦が激しくなるとともに、腐敗議員も当選し続けることになる。また政策論争はおこなわれず政権交代も起こらない、というのが主な言い分であった。
  この考え方は、政治家のみならずマスコミも識者もそして国民も後押しして紆余曲折の末、1993年細川政権の時、小選挙区比例代表並立制という形で成立した。この選挙制度は原理的に間違っているわけではないが、実際には満足のいく結果が出たとは、とても謂いがたい。政治家は自分の地盤を守るために汲々とし、政策論争などどこにもなく、新制度に移行して最初の総選挙は史上最低の投票率となった。細川内閣の誕生に対する国民の熱狂的な支持は大きな失望にとってかわり、あわせて全国の首長選の投票率も下がりつづけ、20%台の投票率で当選する首長も続出した。
  有権者の35%は組織票であるから、40%を切る選挙においては、自分の自立的意思で投票した人は、ほとんどいないことになる。つまり国民が政治を疎んじれば疎んじるほど、政治は少数者の利益を代弁することになる。従って「こんな政治では投票する気にもなりませんな」という国民の意識がますます政治を矮小化させるというパラドックスが発生してしまうのである

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 英国議会制度に学ぶ

 1995年、私はイギリスの議会制度を研究する機会を得た。イギリスは1215年のマグナカルタ大憲章発布以来、世界でもっとも長い議会政治の伝統を誇っている。
  もちろん今日まで健全な形で議会が常に運営されてきたわけではない。18、19世紀を通じて議会は腐敗のきわみに達し、街中のレストランやバーは買収の温床になっていた。あまりのひどさに、19世紀末の首相グラッドストーンは「もうこれ以上テームズ川の流れを汚してはならない」という発言をして、24日間議会での不眠不休の議論の末、1883年有名な腐敗防止法が成立したのである。それ以来基本的にはイギリス政治の腐敗行為は根絶されたという。
  いま、イギリスで総選挙に出る候補者が使える費用は、日本円にしてわずかに150万円足らずである。それを、1ポンドでもオーバーすれば当選無効となるのだから厳しい。また労働党、保守党とも毎回の選挙で千人近くをリクルートするが、選考の基準は明白である。
  1、 どれだけ党の理念や政策を把握しているか
  2、 どれだけ党に貢献しているか
  3、 社会でどんな価値ある活動をしているか
  4、 社会の情報にどれだけ精通しているか
  5、 スピーチ力・説得力のレベルはどうか
  6、 人格的高さはどうか

 こういったことが基準になり、文書と面接、そして公開討論のなかで候補者が決定される。そして選挙時になれば、候補者は個別訪問を頻繁に行い、家のかどかどで有権者との間で短い政策論争をし、支持を訴える。そして候補者同士は有権者の前で、なんども公開討論会を行い、選挙戦が決して行く。
  ところが翻って日本の選挙制度をみると、彼我の差は歴然とする。政治家へのリクルートは官僚や2世、あるいは組織の役員といったごく限られたルートがその大半を占めており、志をもった一般の青年がその門を叩くには、壁は限りなく高い。また候補者同志が自分の理念や政策を有権者の前で開陳し、意見を戦わすことも国政選挙、地方選挙問わずほとんどない。  候補者は、後援会組織を固めることに奔走し、自分の理念や政策の主張は二の次、三の次になる。やはり民主主義の根幹は、候補者が自分の考えを有権者の前で堂々と述べ、有権者がそれを自覚的に選択することによってのみはじめて成り立つといえるのではなかろうか。

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 リンカーン・フォーラムのスタート

 私たちは一歩でも日本の民主主義が成熟するために、各選挙で候補者同士による公開討論会の実現を支援するプロジェクトをスタートさせることにした。プロジェクト名は「人民の人民による人民のための政治をほろぼしてはならない」というアブラハム・リンカーンのゲティスバーク演説にちなんでリンカーン・フォーラムと命名した。実はリンカーンこそ奴隷制度廃止をめぐって大統領選挙の時に、相手候補のダグラス上院議員と7回にわたって公開討論会を開いたその人であったのだ。よく取材にこられる記者の方からリンカーン・フォーラムの会員数は何人ですかという質問をうける。今まで公開討論会の開催に際しかかわった人は2000人をくだらないが、その人たちが、特に会費を定期的に支払っているメンバーというわけでもない。これはいわばひとつのプロジェクトだと考えていただけたらよい。私たちが提唱する公平なルールに従って公開討論会の開催をめざす人々の緩やかなネットワークなのである。しかし実際には、各地のメンバー間のつながりは深く、本部を通さずとも積極的な情報交換が行われている。

(編集部注:現在のリンカーン・フォーラムは「地球市民会議」のプロジェクトではなく、独立した組織として活動している)

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 公開討論会開始時における問題点

 欧米では候補者同士が公開で討論することは当たり前のことである。それをわが国でも行おうというのであるから当初はごく簡単にできるものと、たかをくくっていた。ところがこのプロジェクトをスタートさせたとき政治に詳しい人から思わぬ反応が返ってきた。
  まず第一は、公職選挙法の問題である。164条に「選挙運動のためにする演説会は、この法律の規定により行う個人演説会、政党演説会および政党等演説会をのぞくほか、いかなる名義をもってするを問わず、開催することはできない。」と明記されており、第三者が複数の候補を集めて公開で討論することはできないことになっている。
  いろいろ調査してみると、ずいぶん各地で公開討論会を実施しようと試みた人たちが、この壁に阻まれていたようだ。つまり公開討論会開催を選挙管理委員会に伝えると、ほとんどが言下に「法律により禁止されていますから」という言葉で却下されたからである。
  第二の問題は、過去の歴史から立会演説会に否定的な人の壁である。
  かつては国政選挙を中心に選挙時には公的に立会演説会が開かれ、有権者は、いっときに全候補の政権を聞くことができた。ところが、1983年にこの立会演説会が廃止されてしまったのである。なぜか。それは、立会演説会の開催時にさまざまな問題が噴出してきたからである。その最大のものは、応援合戦になってしまうことであった。つまりA候補が演説をしているときは、A候補の応援団が会場を埋め、ヤンヤの喝采を送る。そして演説がおわると、一挙に会場から出て行く。そしてB候補が登壇するのにあわせてB候補の応援団が大挙して流れ込んでくるのである。
  すなわち複数の候補の演説を比較検討するというのは建前で、実際は各候補がかってに気勢をあげる場にすぎなかった。のみならず、立会演説会が廃止される直前においては、敵の応援団が相手候補をやじり倒し、罵詈雑言の中で演説を中止せざるをえない候補が続出した。そんな騒然としたなか、国会の取り決めで立会演説会は消滅してしまったのである。
  今回も、もし仮に公開討論会が実現しても、かつての立会演説会のように悲惨な結果が待っているのではないかという懸念があった。さらに候補者自身が公開で相手候補と議論するという文化を持っていない日本の政治において、オープンな議論の場に参加する候補はほとんどいないだろうという声は各方面から聞かれた。
  それぞれもっともな意見であったが、どう考えてみても選挙のときに各候補の政策や人格を公平に知ろうという試みが、哲学的に間違っているとは考えられなかった。そこで法律の専門家に教えを請い、自治省の選挙課に赴き、公職選挙法に関する議論をした。そこでわかったことは、後で詳しく述べるが日本の公職選挙法は世界でも例を見ないがんじがらめの法律だということだった。広義の政治活動はきわめてゆるやかな規制しかなかったが、特定の選挙に関する選挙運動については、厳しい規制がかけられており、公開討論会も事前運動にあたるから禁止だというのだ。
  しかし選挙運動とは、「特定の候補を当選させる目的で行われる活動」をさすのであって、公開討論会が公平中立に行われる限り選挙運動にはあたらない。
  結果として討論会ですばらしい発言をしてポイントを稼ぐ候補がいたとしても、それははじめから意図したものではない。もちろん討論会の途中で「私に一票をください」と候補のだれかが叫んだり、会が不公平に行われたら法に違反するだろうが、これを実行する人間が公平中立を旨として取り組むとするなら、公開討論会はぎりぎりのところで広義の政治活動とみなされ、実現の可能性があることがあきらかになってきた。
  また立会演説会の二の舞にならないように、2時間の討論時間は、基本的に有権者の出入りは禁止し、野次や暴言は厳しく取り締まることで、完全公平な運営を心がけることを決意した。
  候補者の方々も当初は慣れないこともあり、拒否反応を示される人も少なくないことはわかるが、公開討論会の意義を繰り返し説き、参加要請を行うことにした。とにかくまず実践を重ねることで、走りながら考えていくことにし、1995年末から公開討論会を支援するプロジェクトを開始したのである。

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 反響と現実

 現在にいたるまで宮城県知事選をはじめとする各主要都市で次々に試み、 1998年の参議院選では全国で一斉に公開討論会を試みた。どの公開討論会でも実施にいたる過程においては、さまざまなドラマがあったが、常に一番難航したのが候補者への参加要請である。
  公開討論会は決して特定の候補者や政党を利するものではないが、どうしても始めのうちは色メガネで見られることが多かった。また人前で話すことが苦手な候補や、脛に傷を持つ候補は色々な理由をつけて断ってきた。話を上手にすることが政治家の要件かどうかはわからないが、少なくとも選挙に出ようという人間が自らの考えや思想を有権者の前で披露することは政治家の義務だと思うが、残念ながらその常識は日本の政治の中にはなかった。
  また、ひとつの市民団体の申し出を受けることは候補者の人たちにとって沽券にかかわると思っているのだろうか。われわれの力不足もあったであろうが候補者の参加要請には毎回苦労した。しかし何とか実現にこぎつけると思わぬ反応が返ってきた。それはすべてとは言わないが、ほとんどの会場が首長選の場合500、1000、2000人とその選挙区の有権者であふれかえったのである。ひどいときには立ち見でぎゅうぎゅうずめにしても入りきらず、やむなく入り口のドアを閉めてしまうこともしばしばだった.会場はたくさんの人たちでムンムンしていたが、野次は一切飛ばず、そのほとんどが粛々として進んだ。
  これは、開始時、コーディネーターが、有権者の野次や罵声、また発言途中の拍手などを禁じるルールを明確に述べ、違反した人は、会場の外へ連れ出すパフォーマンスも実際に行ったりしたことが効を奏した。
  公開討論会は、選挙告示1週間前、19時から21時まで行われるのを通常のパターンとした。終わった後にアンケートをとると、会場に来た人の90%の人が公開討論会への参加を喜んでくださった。ただ10%程の人は、「もっと激しいディベートが聞きたかった。」とか「会場からも質問を取るべきだ」という不満を持っていたこともわかった。
  しかし討論文化が未成熟の日本の政治においては、自由に討議をすることは難しい。ある知事選においては、現職の知事が「討論会での質問の文言を一言一句も変えない」という念書を主催者の学生に書かせるようなケースもあった。従ってどうしても一問一答形式が基本の討論会にならざるを得ないのも事実である。これは実行する側としてもいたしかたないところであるが、今後日本の政治が成熟してくれば、もっと充実した討論会も可能となろう。ただ実際、現在の一問一答形式でも十分に選挙に対して大きな影響を持つことができる。パンフレットには数々の輝かしい経歴を書き連ねながら、壇上での態度を見てみると、不快な傲慢さを露呈して評判を落とした候補。反対に予想では不利といわれながら、討論の場で熱心に自分の考えを説き当選していった候補などなど。
  確かに会場に500人1000人と多くの人が詰め掛けても有権者の総人口に比べればその数は微々たるものかも知れない。だがこれが個々の演説会と違うところは、この討論会は、その開催の翌日必ずといってよいほど新聞やテレビを通じて大きく報道され、有権者の意識に到達していくことである。
  今まで300回を超える公開討論にかかわってきたが、平均してその前の選挙の投票率よりも9%を超える投票率の上昇をみたことからも、公開討論会が有権者の選挙に対する意識を変える一助になったと考えてもいいのではなかろうか。

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