2.候補者への出席依頼そのA

 

 

 

  2.候補者への出席依頼そのA

 

 

 第3ステップ 候補者へのファーストアプローチ

 候補者に対するアプローチには本来こうあらねばならないという決まった方法はない。要は候補者の人から「よし参加する」という回答が得られるのなら、あまり方法論にこだわる必要はない。しかし経験則に照らしていえば、候補者の人が気持ちよく参加してくださるためにはこのアプローチには周到な準備と繊細さが必要である。
  さて候補者へのアプローチは普通、誰か候補者の有力な応援者などを通してお願いをするものだと勘違いされる。もしあなたが仮に候補者の有力な応援者を知っているからといって、その人に「今度公開討論会を開きたいので○○候補には是非出席していただきたいのですが聞いて頂けませんか」という依頼をしたとする。勿論候補者とその人との人間関係や、その人の公開討論会に対する意欲によっても結果は違ってくるだろうが経験則に照らしてみればあまり成功率は高いとはいえない。大体においては「お願いしてみたのですがやはり難しいようです」と言う答えが返ってくることが多い。この候補者へのアプローチについては変化球ではなくて直球勝負をするべきである。そしてまたその方が成功の確率は高い。
  大体選挙の告示日の1ヶ月前になると立候補の表明をしている有力者の顔ぶれは揃ってくる。その立候補表明者に対して初めてアプローチをする時は基本的に「同時にアプローチをする」ことが肝要である。記者会見の日取りが決定したら記者会見の日の朝一番に各陣営の選挙事務所あてに電話して公開討論会開催を伝え、そこへの参加依頼を行うと同時にFAXで資料を送る。言い方としては次のように言えば良い。「はじめまして。わたくし…・選で公開討論会を実現する市民の会代表の……ともうします。今度の選挙戦にあたって候補者の方々の公開討論会を開催したいと思いますのでまことにお忙しいとは存じますが是非……さまにはご参加頂きたくお電話をさしあげました。一応概要についてFAXさせていただきますのでよろしくお願いもうしあげます。一度正式にお願いに参りますので30分程お時間をいただけませんか。」というように相手に伝える。
  このようにいうと大体選挙の責任者の方と会う日取りが決まる。これをすべての候補者の事務所に対して同時に行うのである。なぜこの"同時"ということにこだわるかと言えば、もしある陣営と先に交渉しておいて何日もたってから別の陣営に交渉に行った場合、後に交渉した陣営が「自分たちは後回しにされた」とか「この討論会は相手候補の策略ではないか」という勘繰りが出て交渉がこじれる場合いがあるからだ。あくまでもこの公開討論会が公平中立であることを公にする意味でも同時に声をかけることが肝要である。またこの第1アプローチでは性急に参加不参加を聞いてはならない。そもそもはじめてのアプローチにおいては相手側から見ると「一体どういう団体なのだろうか」という懸念があるのは当たり前なのだから、まずは自己紹介といったところである。
  なお、"同時"といっても普通は1台の電話で各候補順番にファーストアプローチを行うから、厳密には同時ではないが、最初の候補から最後の候補まで30分以内にファーストアプローチを完了しておけば、ほぼ"同時"と言えよう。
  FAXで送る資料は「公開討論会開催趣意書」「発起人名簿」「公開討論会参加依頼書」の3点としておき、他の資料は正式にお願いにあがるときに合わせて提出する。
  また、候補者の有力な応援者に公開討論会の参加/不参加を聞いてもらうことはあまり得策ではないが、その人から「今度公開討論会の参加を依頼してくる…・さんは決して怪しい人物ではないから一度話を聞いてほしい」という口添えをしてもらうことは一向に構わない。要は主催者が決して偏向的思想や特定の政治目的をもっていないことを候補者側にはっきりと認識してもらうことが第1アプローチの目的なのである。

 

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 第4ステップ 選挙管理委員会への届け出

 朝のうちに候補者側へのファーストアプローチが終わったら、その日の午前中に、選挙管理委員会に会の開催の届け出を行う。もちろんこのときは7点セットを持って行く。選挙に関することであるからここを避けて通るわけにはいかない。しかしこの選挙管理委員会への対応が一歩間違うとスタートでつまずくので気をつけていただきたい。もしあなたが「今度公開討論会を開きたいのですが法的に問題ありませんか」と言う問いかけを選挙管理委員会にしたら答えは決まっている。「公開討論会は選挙において164条により禁止されていますのでおやめになったほうがよいとおもいます。」という答えが返ってくる。実際こういう返答をもらって出鼻を挫かれた人は枚挙にいとまがない。
  確かに選挙管理委員会の立場としては自分に開催の責任がかかってくるとしたら問題であろう。少なくともなにか法的問題が発生しそうな状況はもとから回避しておいた方が得策であると考えたとしても無理からぬところであろう。そこで私たちとしてはどのように話をするか。7点セットを順番に見せながら次のように話をする。
  「(開催趣意書と発起人名簿を見せながら)今度○○の選挙において立候補を表明しておられる方々にあつまって頂き公平中立な公開討論会を開催したいと思います。(新聞記事とリンカーン・フォーラム方式公開討論会開催実績を見せながら)この公開討論会はいま全国で広がっておりどこでも大きな反響を呼んでいます。(自治省選挙課の見解を見せながら)自治省の見解でも法的に問題はないようです。今回も問題が起こらないよう最善を尽くしますのでよろしくお願いいたします。もし何かの問題が発生した場合はすべて私たちが責任をとりますのでよろしくお願いいたします。」
  ここでのポイントは4点である。1つは公開討論会を開催したいこと。2つめは全国で広がっていること。3つめは法的に問題がないこと。4つめはすべての責任をとるということ。この4点を盛り込んだ上で選挙管理委員会の方に「公開討論会をやってよいかどうかという開催の判断の責任をかぶせてはいけない」ということが重要である。もう今、情報を普通に持っている選挙管理委員会なら公開討論会についてはよく知っているので禁止されることはほとんどないが、かつてはよく止められた。公開討論会をやり始めた当初は全国から選挙管理委員会とのトラブルで何度もSOSがはいった。しかし今は随分と選挙管理委員会の方々も協力的になっていただき、うまくいっているようだ。なかには主催者に対し、リンカーン・フォーラムに教えを請いに行くようにアドバイスしてくれる選挙管理委員会もあるほどである。

 

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 第5ステップ 記者会見

 選挙管理委員会への届け出が済むと、その日の午後は記者会見に移る。ほとんどの場合、選挙管理委員会と記者会見場は同じ建物の中にある。記者会見に臨むにあたってはドキドキしてなかなか落ち着かないものである。これは人間の生理現象であるから、たとえあがったとしてもあまり気にすることはない。記者の方の出席人数にもよるが10部くらい資料は用意しておいたほうがよいだろう。時間になると記者の方たちが集まり、時によってはテレビカメラがはいる場合もある。
  記者の方々に対して集まっていただいたお礼を述べ、公開討論会開催に対する趣旨を述べる。そして各陣営に対して討論会参加の申し入れをしたことを伝える。ここでも今までと同じくこの討論会が全国で広がっていることと、この討論会がいかなる政党とも中立で、いかなる候補に対しても利するものではないことをはっきりと申し述べておく。公開討論会の価値について強調するのは良いが「マスコミの報道では候補者の考えが正しく伝わらない」というようなマスコミ批判は慎みマスコミの方への協力を依頼する。かつてある市長選の公開討論会において、代表者が記者会見の席上でいささかマスコミ批判をしたため新聞記者から総すかんをくらい大変なことになったことがある。また反対に一般の主婦の方が討論会を主催していたときに「私は一般の主婦ですので政治のことはあまりわかりませんのでどうぞご指導ください」と素直に語ったところ非常に力を貸してくださり、大成功した事例もある。この記者会見は大体20分ぐらいが適当である。その後質疑応答の時間を設ける。質問時間にはけっこう質問がでることが多い。その質問に対してもこの公開討論会は正しいことを行っているので臆することなく自分の考えを堂々と伝えれば良い。しかし解らないことや決まってもいないことを、いい加減に伝えるのは良くない。そのあたりは誠実に答えるべきであろう。
  質問時間が終われば必ず記者の方と名刺の交換をしておいて、しっかり挨拶しておく。やはり個人的な繋がりを作っておくことが重要であろう。マスコミに対する情報の提供はあくまでも公平に全部に伝えなければならない。時に親しいからと言ってひとつのマスコミにだけ情報を流す人がいるが得策ではない。しかしやはりマスコミのなかでもこのテーマに対して感度の高いところとそうでないところがあるのはいたしかたない。また時によってはそのマスコミが特定の候補を応援していたりしていて討論会のことを宣伝することに二の足を踏むところも出てこよう。討論会に関心を持ってくれた記者の人には積極的にコンタクトをとり、アドバイスをもらうと良い。

 

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 第6ステップ 候補者本人及び選挙事務所への直接の面会

 記者会見が終わると、大体翌日にはほとんどの紙面に公開討論会開催の記事が出る。この記事の扱いが大きくなるか小さくなるかは記者の関心の度合いにもよるが、経験的にはこの時点での記事の扱いは公開討論会実施後の報道に比べてそんなに大きくはない。でもこの時点で初めて世間に公表されるので意義は深い。稀に地方のケーブルテレビで記者会見の模様が流されることもある。スタッフで手分けして全国紙地方紙をできるだけ入手し、記者会見の記事をコピーして、これも面会用の資料とする。
  候補者事務所への面会はこの日から始まる。候補者へのファーストアプローチは同時であることが基本であるが、面会については相手側の予定もあるので、面会日程がずれても一向に構わない。一番早い場合、この記者会見翌日が始めての面会となる。実際この候補者への参加依頼はどのようになるか、この時点ではよくわからない。かつて鎌倉で市長選の公開討論会を慶応の学生が中心となって主催したときのこと。このときは現職と挑戦者が一騎打ちの選挙であったが、私は彼らに「候補者の参加依頼にはかなり手間取るかもしれないから覚悟しておいてください。」とアドバイスしたのだが結局かれらは1回の面接で候補者の参加承諾を得、ものの5分で出席依頼は終わった。全く拍子抜けしたものである。こんなこともあれば非常に手間取ることもある。公開討論会の成否はこの候補者の参加不参加にかかっているので、この節は数々の実体験を踏まえながら詳しく論じてみたい。
  選挙事務所に行くと選対の責任者の方か、時には候補者本人が応対してくださる場合もある。これもいままでと同じく公開討論会開催の趣旨を丁寧に話し、7点セット+記者会見記事を効果的に活用しながら、この会が公平中立な会であることを明確にした上で参加を依頼する。
  ここでのポイントは5点ある。1つは公開討論会に出席してほしいこと。2つめは、この会が公平中立であり、どの候補者にも決して利することはないこと。3つめは公開討論会が全国で広がっていること。4つめは法的に問題がなく、選管にも届け出済みであること。5つめは候補者自身にもメリットがあること(後述)。
  ここでは礼節を保ちつつも自信を持って臨みたい。こんなことを言うと誤解を招くかもわからないが、選挙事務所によっては実際、暴力団かヤクザの巣窟かと見まごうばかりの殺気立った事務所もないではない。そんなところでは当然「何しに来たんだ」と言わんばかりのぞんざいな対応をされることもある。しかしここでなにも臆することはない。自分の中に私利私欲がない信念をもって臨めば、貴重な社会勉強であると思える。今日までこの候補者の参加要請において様様なドラマが生まれ、この個々人の努力が大げさに言えば主催者の人間的な飛躍を生み出すのである。ここで今日までの経験の中からどういう心構えでこの候補者のアプローチしたらよいのか、その鍵をお話したい。

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 (候補者及び選対本部の心理について)

 選挙は血こそ流れないものの、本当の意味で命懸けの戦いである。ほんの小さな気の緩みや判断のあやまりが決定的に戦局の流れに影響を与える。
  たかが公開討論会ひとつとっても、ここに参加することで自陣営が不利にならないとも限らない。またこの討論会の主催者が相手候補の回し者である可能性も考えられる。疑ってかかられても当然だという観点で自分自身を認識していたほうがよい。候補者や選対事務所にとってそこに参加するかどうかの判断基準は突き詰めて言えば2つしかない。1つは「これに参加することが自陣営にとって得か」もう1つは「これに参加しないと不利をこうむるか」である。
  そうなると公開討論会は一般的に考えるとあまり名前の売れていないチャレンジャーにとっては願ってもないチャンスである。だから実際経験的にはチャレンジャーの方が喜んで公開討論会に出席してくださる確率は高い。しかし本当にこの公開討論会は巷間言われるようにチャレンジャーにとって有利で、現職や保守系の候補にとって不利なのだろうか。少なくともデータの上ではそういう数字は出てこない。かつてある知事選で公開討論会に参加した現職の知事は後に「公開討論会が現職に不利だと言うことがよく言われるがとんでもない。普段の選挙では、現職は挑戦者からあることないこと言われ反論権すら持てない。ところが公開討論会では本当の議論ができるので私としてはこんなありがたいことはないと思っている。今度選挙があるときは毎日参加してもよい。」と語っていた。実際わたしもそう言う現場にはよく遭遇する。
  ある市長選のときのことであった。その市長選では現職とチャレンジャーとの一騎打ちであった。二人は公開討論会で熱い論戦をした。その時チャレンジャーの候補が自分の話の途中で「我が市の財政は破綻している」と現職に詰め寄った。しかし現職は「ちょっと待った。あなたは何の根拠があってそういう発言をするのですか。我が市の財政はわが県の中でも最も健全財政です。」そういって数字を挙げながら切り返した。
  これには挑戦者も意表を衝かれ言葉に窮していた。 よく「現職と挑戦者の戦いはメモリー(記憶)とホープ(希望)の戦いだ」と言われるが、それはあたっている。現職はいかに自分が実績を残し有能であるかを有権者に伝え、挑戦者はいかに自分が改革精神に富み自分が当選すれば街や国がどれだけ良くなるかを有権者に訴える。
  押しなべて現職の話は現実味があり力強さがある。挑戦者の言葉の中には大胆ではあっても空疎な響きがあるものも少なくない。国民は何も知らないようでいて、かなり的確に真実を見抜くものである。どんなに大言壮語してもそこに流れる嘘やハッタリは結構敏感に感じ取れるものである。経験に則して言えば、公開討論会は現職にも挑戦者にも保守系の候補にも革新系の候補にも有利には働かない。ただひとつ、自分が語る言葉に信念を持ち、語れる人のみに有利に働くといえよう。
  1998年7月の参議院選挙では全国46都道府県で公開討論会の実行委員会を立ち上げ結局23ヶ所で公開討論会が開かれた。この時実に面白い結果が生まれた。この時の選挙において自民党は惨敗したが、かなりの選挙区で自民党の候補の方も討論会に出席してくださった。後で統計を取ってみて驚いた。公開討論会への出席を拒んだ自民党の候補者の当選確率は44%であったが、公開討論会へ出席された自民党の候補者の当選確率はなんと83%という高当選率であった。数字だけみると自分の当選に自信のある候補者が討論会に出席したようにも見える。しかし実際は全く違う。ある選挙区において自民党の候補が2人立候補していた。そのうちの一人はまず間違いなく当選すると言われた有力候補で、もう一人は当選が難しいと言われていた。公開討論会の参加をお願いすると「当選は難しいだろう」と言われていた候補者は即我々の申し出を快諾して下さった。しかし有力だと言われていた候補の選対は討論会への参加を拒否した。そしてその候補の選対本部長をしていた地元の衆議院議員は地域のテレビ局の前で「リンカーン・フォーラムの公開討論会は公職選挙法に違反する恐れがあるので出席は見合わせる。」というコメントを出した。しかし世論は「どうして公開討論会に出席しないのだ。」という風潮に傾き、結局この有力候補は落選し、また反対に当選が難しいといわれていた候補は、当選を果たした。こういう現象は各地に起こり選挙戦は大きく動いた。
  自分が立候補する存在意義の確認と有権者に対する明確なメッセージを持っている候補者にとって公開討論会は有効に働く。だがいままでの組織票の足し算で選挙を戦い、低投票率を願っている候補にとってはこの公開討論会は厳しいものになろう。

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 (公開討論会の開催が、かなり難しいシチュエーションについて)

 公開討論会への参加要請は最後まで粘り強く行っていくことが大切で、1回や2回断られたからといって何の問題もない。討論会直前に参加承諾を頂いたケースも数多い。しかしここで今までの経験上、開催がかなり難しい場合についてお話しておきたい。選挙は有力な候補者が争ってこそ意味がある。まず当然のことながら対立候補が出ない無風選挙の場合、討論会は開催できない。今までも各地で公開討論会の開催を企画していながら結局候補者が一人で選挙がない場合はどうしようもない。
  もう1つ公開討論会への参加要請がほとんど不調に終わるのが、「全党相乗り候補対共産党の候補(または泡沫候補)」と言う図式である。ある県知事選において学生たちが公開討論会を企画した。その知事選では全党相乗りの現職候補と共産党の候補、そしてもう2人候補者が出ていた。この選挙ではまず現職候補の優位は動かなかったが、学生は候補者の考えを知るために討論会を企画したのだ。マスコミも注目し新聞やテレビでも何度もとりあげてくれ、学生たちも粘りに粘ったが残念ながら現職は参加しなかった。
  当日は現職以外の3候補によって討論会は開かれたが、有権者も1500人の会場に100人余りがあつまったに過ぎず、寂しいものになった。そして選挙結果は圧倒的に現職が勝ったのである。聞くところによると候補者自身は討論会へ参加しても良いという意思をもっていたようだが、選対が各政党の寄り合い所帯だということもあって、ある陣営から「公開討論会など出席する必要なし」という横槍が入って討論会参加は実現しなかったようだ。この知事選に限らず、今まで公開討論会を企画して「全党相乗り候補対共産党候補」という図式では討論会の開催が成功した事例は稀である。東京の足立区区長選や狛江市市長選など、共産党の首長が誕生する地域では実現の可能性はあるが、やはり全党相乗り候補が討論会に参加することはかなり難しいようだ。ただ全党相乗り候補に対しても挑戦者が強力であるとか、また全党相乗り候補が有権者の前で討論をしたいという何らかの意図があれば別である。またその選挙区に何か特定の政治課題があって候補者が討論する場が有権者の中から澎湃として出ているときには開ける可能性がある。しかしその時は政治力学として現職が非難されるシチュエーションが予想されるので、今度はそういう場に候補者が出てくるか厳しいものがあろう。基本は「最後まで諦めずに取り組む」ということであるがやはり討論会を企画する選挙の情勢がどういうものであるかを認識しておくことは肝要であろう。

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 (もしどこかから圧力がかかったらどうするか)

 選挙は戦いであるから自陣営が不利になる状況はできる限り排除したいという意識が働くのは当然である。実際は公開討論会はどの候補にとっても不利になることはないのだが、誤解をおそれずに言えば、話すことが苦手な候補や相手候補が若くて見栄えが良いとき「もし自分たちの候補が見劣りしたら大変だ」という意識が選対のなかに生まれる。「わざわざ火中の栗を拾うまでもないだろう」と言う判断から候補者の討論会参加を拒否する場合が出てくるのである。面白いことに候補者本人は「討論会に出たい」と思っているのに、選対や後援会が出席を渋る場合がかなりあるのである。しかし私たちの公開討論会は決して偏向的でないために結構世論が味方になり、時によってはマスコミによって出席を渋る候補者や陣営が叩かれることがある。ある時に市長選で討論会参加を拒否した選対の責任者から「私たちの大切な○○(候補者の名前)を討論会などに出して味噌をつけたりさらし者にしたくはありませんからなあ」という電話がかかってきた。話を聞いてみるとその候補は話べたできっと相手候補と並んだら見劣りがするだろうと考えている節があった。しかし結局その候補は最終的に討論会に出席し、実に見事な討論をして当選していった。
  公開討論会では、巷間「話が全くできない」と言われていた候補が心を打つ話をして有権者を説得していった事例は枚挙にいとまがない。また反対に「あの人の演説はうまい」と言われながら実際にはまさに「巧言令色少なし仁」で評判を落とした候補もいた。候補者の後援会の人に申し上げたいことは、もし自分たちが担いだ候補ならその候補を根源的に信じることであろう。本部の人間が「候補が人前に出れば相手と較べて見劣りがするので公の場には出さないでおこう」などという姑息な考えでは選挙に出る意味は全くないし、当選もおぼつかないだろう。
  私達有権者の目は決して節穴でない。確かに一人一人の有権者は限られた情報しかなく、ときに誤った判断をすることもあろう。しかし全体としてみた民衆は実に的確な判断を下すものである。人は決して言葉の流暢さや見てくれだけで判断するものではない。その人間の言葉や姿の奥に隠れる全体の波動を感じているのである。たとえ訥弁で華やかさはなくとも真剣にそのことに取り組み自分の公約実現を決心している人の言葉には、いわく言いがたい威力がある。それは間違いのない事実である。
  しかしこの本質的な公開討論会の現実がわからないために、時に討論会とりやめを目論んだ圧力がかかることがある。勿論直接会の代表者に対して圧力がかかる場合もあれば親戚など血縁関係から来る場合もある。最近は公開討論会が随分浸透してきたためにほとんどなくなったが、かつてはかなり厳しい圧力がかかる場合もあった。ほとんど脅迫じみた電話がかかってくることもあったが、まずこの公開討論会を開催する志が誰に対しても公明正大であれば何も怯む必要はない。むしろそう言う無理無体に対しては毅然たる態度で臨めば良い。時に「討論会は選挙違反になるから訴える」と言われ主催者が困惑しリンカーン・フォーラムの本部にSOSがかかってくることがあるが、それに対する答えはひとつである。「大丈夫。もし心配ならこの企画はリンカーン・フォーラムのサポートを受けているので問題があるならリンカーン・フォーラムに聞いてください。」ということにしている。こういうとまず問題は起こらないし今まで本部を巻き込んでの問題が発生したことはない。もし何かの圧力に屈したらそれはその人にとって有形無形の心の傷が残ろう。しかし自分の思いを信じて突き進めば、結果はどうあれ本人は納得することになる。

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 (泡沫候補の扱いについて)

 泡沫候補という言葉の響きには一種差別的ニュアンスが含まれているのであまり使いたくないが、実際今日までほとんど当選の可能性がない売名行為的候補者の扱いは結構頭を痛めたので、この問題について言及しておきたい。
  もしあなたが公開討論会を企画したとして、討論会実施日までに泡沫候補が立候補を表明していなければなんの問題もない。しかし選挙においてはそんな変な候補が立候補しないとも限らない。基本的に公開討論会は中立公平を旨とするなら全員参加してもらうのが前提であろう。
  しかしどう考えても売名としか思えないような候補や、やくざまがいの候補をどうするかということはかなり微妙な問題を含むことになろう。
  ある知事選において現職を猛烈に非難し「天誅」という過激なビラをまいていた人物が立候補した。もとより当選する見込みもない怪しげな政治団体の職員であったが、この候補者を参加させるかどうかで随分迷った。この時にはいち早く現職が討論会への参加を表明してくださっていたのでどうしたものかと議論をした。結局その時は全候補者に「相手に対するひぼう中傷はしない」という条件で全員参加させるということで話を進めることになった。結局最後にこの問題の候補は立候補を]取りやめたために現職と有力な挑戦者との2人での討論会となった。事無きを得たのだがこのような問題は各地で起こることだろう。実際はその時の状況によって判断が変わることもあろうが、基本を言えば泡沫候補は呼ばなくても何の問題もない。
  これは討論会が選挙告示日前の公開討論会と告示日以降の合同立会演説会では理由が全く違うのだが、どちらにしても泡沫候補をもし討論会に呼ばなかったとしても法的には問題になることはない。
  まず告示日前の公開討論会の場合、まだ候補者は正確には”候補者”ではない。候補者は告示日になってはじめて候補者となる。従って立候補予定者と言ったって心の中で思っているレベルまで入れればすべての有権者がその範疇に入ってしまう。つまり討論会に立候補予定者を呼んでもそれは自分たちの町や国の行く末についてパネラーとして来ていただくだけだから、それは主催者が自分の判断でパネラーとして呼ぶ人を選択すれば良いのである。今までこの泡沫候補への対応について何度も質問を受けたが仮に泡沫候補を出席させなかったとしてもほとんど問題はなかった。
  ただ一度だけ東京都知事選の公開討論会で大変揉めたことがある。これは特異例であるがあえてお伝えしたいと思う。1999年の東京都知事選は青島前知事の出馬見送りと合わせて有力な候補が何人も出馬し混戦模様となった。その中で後から参戦した石原氏が都民の意思を集め一気に当選した。このような非常に注目される状況の中で公開討論会も開催されたのでる。主催は東京青年会議所のメンバーの方々を中心に勢力的に準備を進められていたのだが、一応討論会への参加を要請したのは石原氏を含めて当時有力と言われていた7人の立候補予定者であった。その他東京都知事選は何十人も候補者が立候補の意思を表明していたが、この7人に声をかけるのは常識的判断であったと思う。ところがある候補の陣営から「どうしても討論会に自分たちの候補者をだせ」という強い要望が来た。その言い分としてどういう統計か知らないが「インターネット投票では自分たちの候補が断然1番だ」と言うのだ。確かに全く無名ではないにしてもどのような根拠があって1番だというのかあきれたが「討論会に参加するのが当然で、それがわからないおまえたちが無理解だ」と言わんばかりの居丈高な態度には参った。何度もしつこく電話がかかり閉口したものである。しかしもうこれ以上人数を増やすこともできなければそういう脅迫じみた圧力をかけてくることもまことに遺憾であった。討論会当日は予定どおりのメンバーで討論会は開かれ、テレビや各新聞にも大きく取り上げられ少なからぬ反響を齎したが、当日の開会2時間前までその候補の陣営から電話が鳴りつづけ、最後に「この討論会は選挙妨害だから訴える。」などとまことにお門違いの中傷をするに及んではもうこちらもあきれはて「どうぞご勝手に」ということになった。もし討論会の途中でその候補のシンパが暴れたらどうしようかと多少の心配もあったが、今にいたるも問題はなにもおこってない。大体一般の市民がボランティアで行っている討論会の催しに対し自分の思いが通らないからといって訴えるとか脅すとは何事か。その一事をもってしても国民の選良たる資格などないだろう。今思えば出さなくて良かったとつくづく思う。
  色々あまり耳あたりのよくないことをいくつも述べてきたが、実際にはこういうことはあまりないのでどうぞご心配なく。
  なお、泡沫候補からの参加要請をスムーズに断るひとつの方法として、参加要請基準を「○月○日までに主要△新聞すべて(または、2紙以上)で出馬表明が掲載された方」と決めておく方法があるので参考までに。

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 (参加候補者の公平性について)

 公開討論会は公平性を重視することは言うまでもないが、候補者の参加については「全員が参加しなければ不公平である」ということは決してない。
  泡沫候補の扱いについては先に述べたが、もし参加を要請した候補の中で討論会参加を拒否した人がいる場合、それでも討論会は開けるのかどうかということに疑問を持つ人がいる。かつてある市長選で討論会が企画された時のこと。5人の候補者が立候補を予定しそのうち4人が討論会への出席を了解した。当然これで討論会が開かれると思っていたところ主催団体は突然討論会の開催を断念した。わたしは大変驚いたのだがそのグループの中から「全員の候補者がそろわない討論会は公平性にかけるのではないか」という異論が出され侃侃諤諤に議論の末結局とりやめになったのである。
  勿論有力な候補のうち特定の候補に声をかけなかったらそれは不公平と言うものであろう。しかし公平に声を掛けた上で、候補者本人の判断において討論会の出席を取りやめたとするなら、それはそれでひとつの意思表示である。
  候補者2人のうち1人がどうしても出席しなければ討論会は成立しないが、3人のうち2人が出席したら十分に討論会は成立する。もし2人以上の出席が見込めるのであれば討論会を止める必要はない。
  ただし衆議院選挙の時に限り、考慮に入れないといけない問題が発生する。衆議院では300選挙区において選挙が行われるが、各政党の党首クラスや幹部の中には選挙期間中全くと言っていいほど地元入りしない候補も少なくない。実際物理的時間としてその選挙区にほとんどいないのであるから、こちらが日時を設定してもその通りにはならないだろう。その候補の政治的判断を離れて討論会への出席が難しい場合に、例えば代理を認めるとかする処置をし、出席したくても出席できない候補が無碍に非難されることは避けたい。無論その候補が公開討論会に対して全く無理解な態度をしめした場合、特段考慮する必要はない。仮に討論会に出席しないことでその候補が不利を蒙ったとしてもそれは主催者が公平性を重視して行動している以上、主催者の関知するところではない。

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 (公開討論会は市民運動か?)

 おそらくリンカーン・フォーラムが提唱している公開討論会は市民運動の範疇に入るのであろう。わたしは市民運動というものの正確な定義がよくわからないが、少なくとも行政の権力構造からは離れているので間違いなく市民運動であろう。しかし市民とは決して市に住んでいるから市民だというわけではない。全米で消費者運動の旗手ラルフ・ネーダーニよると市民とは次の5つの自覚を持っているひとをさすのだと言う。第1は労働者としての自覚。第2は富の保持者としての自覚。第3は納税者としての自覚。第4は投資者としての自覚。第5は投票者としての自覚。この5つである。
  公開討論会は市民サイドから見れば自らの投票者としての自覚を発露させる運動である。しかしこの討論会を推進する人に切にお願いしたいことはこの運動が決して怒りから出発するものではないと言うことである。
  例えば時に色々な自治体で首長が不正を働いたり大きな政治問題が発生したりしたときに丁度選挙があり、行政の不正を正すために討論会が仕組まれることがある。
  行政の不正を正さんとする市民の意気込みや良しであるが、そのエネルギーと公開討論会とは次元の違う事柄なのである。公開討論会はできる限りその本質を透明に保とうとするがゆえにその存立意義を持つ。つまり討論会は逆説的に言えば「無色」と言う非常に強い色を持っているのである。
  ある政治家の演説会に行ったときのことである。その代議士は1時間に渡って自分の政治に対する思いや国政の流れに対して熱心に語った。私も非常に勉強になりその政治家の政治に対する情熱や思想がひしひしと伝わってきた。
  ところが話が終わり質問コーナーになった時に何人かが手を上げて質問が出た。勿論その中にはまっとうなものもたくさん合ったが、環境問題の運動家や福祉の運動をやっている人たちの発言には思わず眉を顰めた。あたかも自分たちだけが正義で世の中を良くすることをやっていて政治家は全くだめだといわんばかりの発言を聞きながら、ここに市民運動の根源的な問題が潜んでいると感じた。市民運動はそれが右翼であれ左翼であれ、ある種の熱狂を帯びるものである。そして良識ある人の声はかすかにしか聞こえず、偏狭的に自分の主張をがなりたてる人の声のほうが大手を振って我々の耳に入ってくる。
  しかし自分達を正義の側におき、社会や相手を不正義の側に対置して行われる社会運動は最後には自らの毒によって崩壊してしまうのである。この公開討論会もいまや社会運動と言ってもよいほどの大きな広がりを見せているが、私達がこれを主催する側に立ったとしても、あまり政治的な正義感を持たず自分自身の勉強として淡々と実行したい。この無心の相の中に思わぬ学びの種が潜んでいるのである。「地方自治は民主主義の学校である」と言ったのはウイリアム・ジェームズであるがこの公開討論会もまた民主主義の学校である。
  こういう内省的視点を含んだ活動として運動を市民運動というのであれば、これは最高の市民運動であろう。

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 (公開討論会の開催に地域差はあるか)

 この公開討論会に対しては、「都市部では有効に働いても私達の田舎ではなかなか思うようになりません。たくさんのしがらみがあって公開討論会の開催は不可能です。」という声をよく聞く。しかし 現実には公開討論会はあらゆる場所で開催が可能である。むしろ、実はしがらみが強い地域ほど潜在的にはこの公開討論会への希求が強いともいえる。自分が住んでいる地域が他所に比較してなんと なく閉鎖的だとか政治的に特殊だと感じている人が少なくない。しかし全国をマクロな視点で見てみると、どこも全く変わりがない。表層の難しさに心を縛られるのではなく思い切ってやってみると現実は一気に動く。確かに様々な事情で公開討論会の障害が生じてくるのは間違いない。しかしそれらは行動を起していくときに雲散霧消 してしまうのである。
 なぜできないかという理由を100挙げるのではなくて如何にしたら実現するかという方法を一つ見つけ出すことが大切なのである。

 

 (日程の確定)

 討論会開催の日程については一応原則として、それぞれの候補者にこちら側が設定した日程を提示するが、当然のことながら相手があることであり、一発で決まることはなかなか難しい。一人の候補の時間が空いていても別の候補はだめかもわからない。またその反対もありえる。ここでそれぞれの候補の日程調整が必要となってくる。原則としてすべての候補に対する対応は公平であることが前提だが、現実問題としてはやはり現職や保守系の候補者の日程を優先させることになるだろう。この日程の確定については時によって緊急な変更がある場合があり、主催団体が集まって議論し決定する時間がないときも出てくる。従ってこの日程に設定については、状況の変化に従って主催者の代表者が単独で決定したとしても後のメンバーがそれを了承する体制にしておかなければならない。後で日程のことでも揉めたりするのはよろしくない。この時間の決定については、もし選挙期間中であればそれぞれの候補の街頭演説(20時までと制限されている)が終わった後、すなわち21時から行うことも可能である。いままで知事選や衆議院補選でも行ったが、有権者の人も多くあつまりかなりの評判を呼んだ。この時も一人の候補の日程がなかなか決まらず、結局投票日3日前の21時からスタートしたが、会場のホテルは人が入りきらず大変な反響であった。

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 (公開討論会は複数回開催すべきか)

 公開討論会に来場できる有権者の数は、全体から見ればほんの一部に過ぎない。だから同じ選挙で公開討論会を複数回開催したいと思う気持ちもわからないではない。しかし、何十回開催しても有権者の大半をカバーできないという点では同じなのである。また複数回開催の企画ではそもそも多忙な候補者の承諾が得にくく、企画そのものが流れてしまう危険もあることや、仮に複数回開催できたとしても候補者や主催者の疲労が大変なものになることを忘れてはいけない。
  そこでリンカーン・フォーラム方式では、原則として1回の選挙で1回の公開討論会とし、公開討論会の模様をテレビ放映してもらうように働きかけている。地方のケーブルテレビであれば、2時間ノーカットで10回以上再放送してくれるケースもある。テレビ放映の依頼方法については後述する。
  なお、仮に候補者全員から複数の開催に承諾が得られればそれもやぶさかではない。ある市長選でのこと。公開討論会の会場参加者からの質問用紙が読み上げられた10数枚の最後に「今回は大変良い試みだったので、ぜひ、もっと4人の話を聞きたい。このあと、合同個人演説会が企画されたらを参加してもらえませんか」という質問があった。すこしサクラの質問のような気もしたが、なんとその場で3人が承諾し、約1週間後に合同個人演説会が実現した。ただし、この公開討論会を主催したグループは公開討論会で完全燃焼しており、合同個人演説会のほうは、このグループからアドバイスを受けた別のグループが実施した。

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 第7ステップ 参加承諾書の回収

 実際にはほとんど口答で参加不参加はわかるが、一応日取りを決めてその日までに参加承諾書をもらっておくと良い。特に参加できないという候補者に対しては我々も公にしている手前どういう理由で討論会に参加できないのかその理由はもらっておいたほうが後で問題が起こらないだろう。
  なお、参加/不参加の回答をもらった後、速やかに記者会見を開催し、回答を公表することが望ましい。この記者会見で重要なのは、主催者が不参加の候補者に対する批判を決して口にしてはいけないことである。主催者としては誠心誠意出演交渉に当たったことを淡々と述べ、不参加回答が残念であることを冷静にコメントするにとどめる。この記者会見を受けてマスコミが不参加候補者をバッシングするのは構わないが、主催者としては中立を保つこと。ここでの冷静な対応が、次の選挙でも公開討論会を開催するときの信頼につながる。

 

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 第8ステップ 警察への警備依頼

 選挙によっては候補者陣営同士で警察沙汰になるほどの激しい選挙戦が行われるケースがある。もしも公開討論会妨害が予想されるような場合は、事前に警察に警備を依頼しておくとよい。依頼方法としては選管への届け出と同じ書類に加えて、警備警戒要請書(資料9)と会場の図面、当日のタイムスケジュールを持参し、地元警察署の刑事2課へ赴く。そして経緯を説明し、私服刑事による警備を依頼する。警備は無料である。なお、刑事2課というのは公職選挙法違反を取り締まる部署でもあるので、警備依頼と同時に公開討論会で候補者に発言させてはいけない内容の具体例をアドバイスしてもらうとよい。ちなみにリンカーン・フォーラム方式の公開討論会で警察に警備を依頼したことは何回かあるが、実際に事件が発生したケースは一度もない。
  なお、候補者に大臣や政党党首クラスがいる場合は必ずSPがつく。SPは警察とは独立した行動をとるので、個別に会場案内や当日の候補者の歩くルートなどを説明する。そして、不穏分子が壇上に駆け上がれないように、ステージへの階段を取り外すなどの特別な配慮が必要である。

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