日 程:1999年7月30日
会 場:東商ホール
テーマ:政治と討論 −政治は国民に響く言葉を取り戻せるか−

<パネラー>
深谷隆司(自由民主党総務会長)
菅 直人( 民 主 党 代 表 )
志位和夫(日本共産党書記局長)
<コーディネーター>
筑紫哲也(NEWS23メインキャスター)
※ 肩書きは、当時のものです。



筑紫

 
  こんばんは、筑紫哲也です。あの多事争論ってことをいつも言っております。これもともとは日本の近代をどう進めるかっていうときに福沢諭吉が言い出したことですけども、とにかく人間も社会もそんなに賢くはないんで、にもかかわらず何かを決めていくためにはなるだけたくさんのことについて議論をすべきだということを言っていたんですが、その後も私達の近代から現代に至るまでそれが徹底しているとは思えません。

 戦争が終わったときに私は10歳の少年でありましたが、大人達がこれだけの歴史的な失敗、愚行を演じたことの理由を大人に聞いてもですね、あの時はそういう空気でしょうがなかったんだ、空気で説明されてしまって、何故そういうことをやったか、そういうことにいたったのかの説明は、十分にありませんでした。もちろんその当時、自由な議論が出来たとは言えない時代だったわけでありますけれど、いまはできるはずであるにもかかわらず、依然として私は議論、討論というものが少ない、とくに政治という大事な場面でそのことが欠けてるなという思いがいたします。えまあ、そういう個人的な思いもありまして、この進行をひきうけさせていただきました。もっと個人的な思いは、テレビをやっておりまして、極めて選挙報道というものがやりにくいということもあります。公選法その他のことでがんじがらめになっていてなかなか色々な事がやれない。近年ますますやならくなりました。そういう思いもありますので、今日は「政治と討論」というはなしをいろいろな角度で議論をしていきたいと思います。

 この全体に非常に時間をきちんと守るという、進行を進めておりますので、これからもそれで進めさせていただきたいと思いますが、それにしても演説といいますか、討論といいますか、そういうものについて、最初に御三人のかたがどんな思いを個人的な、例えば演説との出会い、あるいは討論の出会い、そういうものを含めて、そのへんからお話を入って行きたいと思います。この部分は1人3分でございます(笑)。それではまず、深谷さんからお願いします。
 

深谷

 
  みなさんこんばんは。ご紹介されたときに私だけ立たなかったものですから。改めて立って挨拶します(拍手)。

 私が演説との出会いというのは、そもそも政治家を志したころからでございます。私の場合には、親が政治家でもありませんし、本当に関係のない立場で、特に第2次世界大戦終わりまして1年後に、満州のハルピンから帰ってきまして、大勢のみなさんも同様でありましたが、大変厳しい貧しい暮らしをしていたんであります。亡くなりましたがその親父がお前は政治家になれと、こう言い続けて中学時代からお前ならきっとなれると、こう本当に何かある度に言ってくれたんですね。それで母はいつもそばでニコニコニコニコ笑ってうなずいていた。兄弟5人でしたけど、長男の私はなんとなく、自分の人生かけて政治家になってみようかなあと、そういう風に思うようになりました。

 高等学校に入りますときに、父が政治家になるためには弁論部がある高等学校選べよと言うので、都立コウホウ高等学校というところに、弁論部があるものですから、そこに入学したのが演説との最初の出会いであります。まあ、政治の勉強をすることと、人前で話をすることを、身につけなければだめだと思って、やがて大学は早稲田大学の雄弁会―法学部でありましたが雄弁会に入学したような感じでございます。そのころは今政権とっております小渕さんも、あるいは幹事長の森喜郎さんも、また今参議院の幹事長をしている青木さんも、みんな一緒の時代でございまして、今国会に出てきておりませんが、西岡たけおさんなども、同じ世代の早稲田の雄弁会のメンバーでございまして、天下国家を論じては多いに演説を競い合った、そんな時代がございました。余計な話ですが、その時代一番演説が下手だったのが、小渕さんであったということでございます。だから雄弁が必ずしも良いというわけでもないのかなあと、思っておりまして。まあそんなことを繰り返しながらやがて27歳で区会議議員の選挙に打って出まして、まあ当選したり落選したりしながら、あっという間に36年が流れてしまったわけでございます。

 だから私に取りましてはいまだに十分でありませんで、お二人に比べたら口下手でございますけれども、何とか自分の考えをきちっと相手に伝え、皆さんのご理解いただけるような、そんな演説をこれからも勉強していきたいなあと、こう思っているわけです。政治家から弁論、演説というものを取ったのでは、政治家としての活動の範囲は狭まる一方であります。 そう言う意味では大勢の皆様方が、立会演説会を含む、様々な計画を立てられることは、多いに賛成でございます。大体3分ぐらいでしょうか。
 

筑紫
 
  はい、ありがとうございました(拍手)。決して弁が立たないお方だとは思いませんが…。続いて菅さん。
 

 
  ええ、今日は自民党で最も弁舌のさわやかな深谷さんと、共産党では、まあ1番目といって良いか2番目といって良いか分かりませんが、志位さんと一緒ということで、やってまいりました。まあこの会に小田さんから話があったときに、昔は立会演説会というものがあったんだそうですね、といわれました。実は私も、昭和51年から選挙に出ては落っこちておりましたので、立会演説会というものを何回か経験しております。そのころはですね、確か17分間、1人の候補者がしゃべって、1分休んで次の候補者がまた17分間しゃべるわけ、私の選挙区で言いますと15ほど市がありましたので、大体各市でT回ずつ行っておりました。他の陣営はですねそれぞれの公認候補が来ると、講演会とか党とかが、だっと動員をかける。その動員を前にですね、喋ると拍手が出たり、まあときどきは相手陣営から野次が飛んだりするわけであります。

 まあしかし私の場合は、最初の選挙は無所属でありましたし、その後も小さな政党でありましたので、動員がほとんどかからない。ただ幸いなことには他の候補者が動員をかけた人が早めに来て私の話を聞いてくれたりですね、前の候補者の人が残ってまあ面白そうだから聞いてみようかといって聞いてくれる。5年経ち10年経ち15年経ったときにですね、「やあ、菅さんの話若いころ聞きましたよ。」どこで聞かれたんですか、って言ったら「いやどこかの立会演説会で聞きました。」あの時どうして来られたんでかって「いや、誰かの応援に行ったんだけど菅さんに入れましたよ。」って言われてですね。いやこりゃ立会演説会ってのは良いもんだと思ってましたので今日このお話があったときに、これは出てこなければとおもってやってまいりました。

 まあ、演説とか弁舌とかいうものを、私は組織的にというか勉強したことはありませんが、ちょっと思い出してみますと、私が学生時代のとき、ちょうど大学がにぎやかなときでありまして、私が行っていた東工大という、わりと学生運動が地味な大学であってもですね、当時300名ぐらい講堂にどっしり集まって、学生大会を開いたことが何度かありました。私はもあるグループのまあリーダになることになりまして、そこで演説をすることになったんですが、最初はその3000名の熱気でですね、言ったことは言ったんですがなんとなくこう、話が上手く伝わらない、必死になってしゃべったのを、思い出しております。ただそういう場に何回かさらされているうちにですね、なんとなく呼吸が分かってきまして、ここでこういう風に言うと、こう、なんていいましょうか、反応がわっと来る。こういうと逆に、リアクション遅れてわっと来る。まあそういうふうな呼吸が、なんとなくつかめてきまして、しばらくするとその演説によってまあ、採決をやるわけですが、採決に対しても多少は影響がですね、出てきてると、まあそんな感じがしたのを、覚えております。まあそんな意味では、あの、演説というものが持っている力というのは、やっぱり一番大きなものであったのかなと、私にとっては学生時代の自主トレーニングが、あるいは今日に、つながっているのかもしれません。

 まあもう一つだけいいますと、私は市川房江先生の選挙なんかを手伝ってたんですけれども、アメリカでは婦人有権者同盟という組織が、大統領の、毎回選挙で公開の討論会を主催をしております。まあそういう関係で日本でもですねそういう動きをその関係の人達が今も続けておられるわけで。どうも日本の演説というのは、あのワンウェイの演説はですね、あるわけですけでも、こういう形でお互いに討論するという場面はですね、逆にTVのそれこそサンデープロジェクトとかという場面をのぞくと、非常に少ない感じがしております。ですから私もこれからもっとですね、まあそういう学生大会なんていうのは、相手が言ったこともうこっちの陣営がまたぼろくそにこき下ろして、またあのいわばやりあうわけですが、まあそういういわばそれぞれが言い合って、それを聞いてる人がですね、その中で判断していくという、そういう一方的な演説からですね、まさに討論という形がもっと増えていけば良い。まあ幸いにして先日、この3党含めて賛成をしたあっ、共産党だけ反対されましたか、国会の活性化法というのがとおりまして、来年の通常国会からはですね、時の総理と野党の党首が週1回40分間、1対1で討論するという場面が生まれることになりました。私はこれによって日本の政治は変わってくるんではないか、このように思ってまして、そのときは、早稲田の雄弁会で最も演説の下手だった総理で持たないで、最も上手かった深谷さんに変わってるかもしれないなと、まあそんなことを思いながら、深谷さんの話も聞いていただくと。とりあえず3分間になったでしょうか。
 

筑紫
 
  オーバーしたんじゃないかと思いますが(笑)。最後に志位さん。
 
志位

 
  みなさんこんばんは。私は深谷さん・菅さんと比べますと、だいぶ年代あとのほうで、立会演説会というのは経験がありません。それで私が最初に衆議院に出たのは、1993年の総選挙だったんですが、このとき思い起こしてみますと旧千葉一区から私何とか最下位に滑り込んだんですが、この選挙で何人か、7人8人の有力候補が争ったんですが、今思い起こして見ましても、どなたとも討論したという機会がありませんでした。ですから同じ選挙区で争っていながら、一回も顔合わせたこともないし、まあ朝、駅頭で朝だちといいまして手を振るんですね、こういうときに顔合わせことがあるけれども、討論交わしたこともないまま、選挙終わったなと。こう思いますとやはり今の日本の選挙の中に、あるいは政治の中に、本当に討論の機会をもっともっと作らなければならない。ということを改めて痛感致しました。

 私は最初のこのときの選挙のことを思い起こしてみますと、ともかく最初は新人で誰も名前を知らないという状況なんで、一生懸命やったのは、対話集会というのをやりました。で一方的な演説だけだとやはり有権者のみなさんと、心かよわすことは出来ませんし、有権者の皆さんが何を考えているのか分かりません。ですから対話だけの集会をやります。最初全然演説しないでですね、ともかく何でも出していただいて、1時間半ぐらいの時間をともかくぶっつけ本番で、ともかくいろんな対話をやると、いう小さな集いですけれども、30人から50人ぐらいの集いを、そうですねもう全部合わせますと5000人ぐらいの人と対話したことになるんですか。そういう対話の集いを一生懸命やって、それで私なりに、有権者のみなさんの気持ちといいますか、真剣に触れ合うことが出来まして、そういう中で最初の選挙戦ったことを思い出しております。それで今の日本の政治についてちょっといいますと、やっぱり私はフェアな論戦の機会がもっともっと保障されるべきだと思います。

 フェアな論戦というのは、なんと言いますか、事実に基づいた論戦、それから論理をキチンを持った論戦、そしてもちろん、自民党のみなさんそして民主党のみなさんとも、立場違うわけですが、お互い立場違ってもですね、事実と論理でぶつけ合ってですね、それでとことん議論してみると、それでそういう議論をやって、みているほうもさわやかで、その論戦で得られるし、やった側もですね、あんまり後味の悪い気持ちを残らないでにその論戦が終わると、というような論戦がですね、いろんな形でですね、候補者同士の論戦でも、政党同士の論戦でも、あらゆる場面でですね、作られてですね、本当に論を尽くして新しい政治がっていう政治風土をですね、作れたらなと、いうふうに念じております。大体3分こんなところだと思うんですが。
 

筑紫

 
  はい。ありがとうございます。ありがとうございました。テレビの世界、これはNHKと民放とでは違うんですが、民放で普通言われてるのはですね、1人の喋りが30秒過ぎると、チャンネル変えられてしまうと、だから間に違う音が入ることが必ず大事だと、NHKは大体60秒だと考えているみたいですが、今日の主催の地球市民会議でも、まあ一回の発言はT分以内だということを、標準ルールにして事を進めているようです。

 さっき菅さんがワンウェイではない演説だけではなく議論が大事だと、他のお二人も同じ思いのようですが、そいうことでこれからそれで進めていきたいんですがそれでよろしゅうございますか。大体1分原則で。前に時間管理係がいらっしゃいますから、1分過ぎますと下で合図が出ます。

 そこで議論、具体的なテーマ、今日3つぐらいのことで進めていきたいんですが、まず最初に先ほど出ました、立会演説会でございます。立会演説会は、昭和58年、16年前に制度が廃止になり、原則禁止という廃止になりました。立会演説会がなくなったことが、まさに言葉を持って選挙民を説得するということがかなり、貶めたんではないかと、狭めたんではないかという議論があります。立会演説会についてのほうからお話伺いたいんですが、立会演説会一番経験があるのはやっぱり深谷さんですか、やっぱり。
 

深谷

 
  私ははじめて衆議院に出たときは、今の菅さんと同じで、無所属の状態でした。昭和47年になりますね。そのときは立会演説会がございまして、私の選挙区は東京8区といったんですけども、3つの区から成り立ってるんですが、あのころは人口の比率で立会演説会の会場の数が決まったんですね。で私どもの選挙区では5箇所でした。立候補している人は8名おりまして、その5ヶ所で与えられた時間は19分でございます。で、立会演説会といいましても、一緒の場面で出るのとは全く違いまして、時間が区切られてくじ引きで順番が定められますとその順番で19分間の演説をする。そして後退があって休憩があって、また次の人が来られる。その代わり来れない場合はですね、19分間聴衆は黙って待ってなくちゃならない。そういう感じでございました。いま終了って出ましたけれど1分てちょっと短い。

 一番問題でしたのはですね、やっぱりお話がありましたように見方は動員してくれるが、敵も同様に動員してくる。敵というか対抗馬がですね。だからそのたびに入れ替わります、客が。ごそっと入れ替わる。なんのことはない、個人演説会を自分でやったほうが効率が上がるような感じもしたんです。ただ最初のころは残り20%ぐらいの人が残ってくださいまして、その方に聞いていただいてプラスになったというのはございますが。どちらにせよだんだん形骸化されていった。形だけの立会演説会にね、それも入れ替えがはげしくて、野次や罵声がものすごいものがございました。あるときなんかは私どもが終わったあとに乱闘騒ぎになりましてね、で相手の方が暴力事件で訴えるなんてそんな騒ぎまで起こってきたんです。そんなことがやっぱり55年に廃止という方向につながっていったんではないかと。
 

筑紫
 
  ほう。つまりせっかくあったものを使いこなせなかったということなんでしょうが、菅さんはどうおやりになった、何回もおやりになったんですよね。
 
 
  わたくしもですね、51年の衆議院、53年の参議院、54年の衆議院、まあ全部落選しましたけれど、それの55年の衆議院と確か4回経験しました。で、やはり一番問題なのは、立会演説会といっても一方通行なわけ、つまり討論の場が0で、私が後で分かったのは、比較している人がいるんですよ。あ、深谷さんはいいことを言った、志位さんもまあまあだった。菅はダメだった。とこういうふうに比較をしている人がいた。で、それが噂になった。誰が比較をしているか、それは市の選管の人なんです。つまり市の役所の人なんですね。で、私の場合は市が15ほどありましたので、それぞれの市の選管関係者が、まあ足元で聞いている。そうすると、今度出た若いのは言ってることはまあまあまともじゃないかといってですね、まあそういう間接的な効果はたいへんありました。しかしやはり形骸化したという意味では、形骸化したと思いますので、もし復活する場合は、討論を交えた形で復活させたほうが良いんではないかと。
 
筑紫
 
  志位さんは、その観衆、聴衆として、いらしたことはありますか。
 
志位

 
  ええ。観衆として聞いたことはあるんですが、演説した側はありません。ですから私がこの会に来るに際して、経験者の先輩の議員にどんな風でしたかと、言うことを聞いてきて、まあ間接的な話法になってしまうんですが、あの、確かに野次があったり、それから動員合戦ですか、そういった弊害は確かにあったようです。しかしさわやかなですね、本当に最初っから最後までずっとよく聞いてくださった方がですね、どの会場でもいたと、そしてそういう方々が、やはり生きた人間を目の前に見てですね、直接の討論ではなくても、やっぱり政策を自分の目で確かめて、そうして人物も自分の目で確かめて、本当に真剣に聞いていた人がいたんですね。少なからず数があった。

 もう一つ聞いた話ですが、やっぱり何回か繰り返すことで論戦が発展したという面がある。ですからやはりこれをなくしたのは私は間違ったことだった、と反対したんですが、で是非これは新しい形で、公開討論を制度的に保障するし、有権者が自由に開けるように復活するべきです。というように私は思います。
 

深谷
 
  あのころの立会演説会は長所と短所を持っていたんですね。長所というのは、たとえば候補者の側から言いますと、設営したりする能力が要らない。そしてお客があつまる、これは大変ありがたかったです。一方マイナス点はどういうところかというとですね、自分で時間が選べないんですね。だから選挙の日程をくんでいて抽選やりますから、それがかなり崩れてしまうということになる。拘束されてしまう。先ほども言いましたが欠席するとその間じっと待ってますから、なんだ、何で深谷は来ないんだっていうことになりますから、それから、もうひとつはやっぱり、客側から見れば全体が見れると、候補者全員比較できる、ということでございます。だから長所と短所を本当に持ってましてねえ、今の時代にあのかたちが一体良いのかどうかこれは多いに検討する余地があるだろうと思いますが、私自身としては、立会演説会は是非やりたいなあと思っている次第であります。
 
筑紫
 
  今のお話みますと、野次の問題、途中で入れ替わっちゃう途中退席の問題、こういうものをきちっとチェックする、例えば禁止するとかですね、すれば可能なんですかね。菅さんどうですか。
 
 
  実際に前回の衆議院の選挙のときも、三鷹のグループがですね、地元の有線テレビと組んで全候補者を立候補された、まあ私も何とかやりくりして出ましたけれど、それは可能だと思います。それと特に、制度についてのご意見はいろいろあると思うんですが、衆議院が小選挙区中心になりましたから、一つの選挙区での候補者もかつてのように多くはありませんし、対立構造もわりとはっきりするわけですねえ、ですからそういう意味ではですね、討論形式でですね、それなりの地域のボランティアの人とかですね、信頼の置ける人が主催すれば、それこそ出ないとですね、法律ではなくてもですね、なかなか良いわけですから、私は今は候補者側が修正をすることはできるけれども、有権者側が集会を開いて呼ぶということはできませんから、それを変えればかなり良い形がうまれてくるんではないかと思います。
 
筑紫
 
  あの問題はですね、一つは演説中心のかつての立会演説会の復活、を考えるべきなのか、もう少し討論を中心にすべきかという形の、フォーマットの問題、それともう一つはどこが主催するのか、つまり選挙管理委員会だけで良いのか、民営が今みたいに。あとは候補者同士が話し合って決めていくというてもありますね。その2つの問題の最初のほうですね、つまり立会演説会、志位さん、復活するとすればその中身はどういう風にしたら良いのか。
 
志位
 
  あの、私はですね直接の討論をですね、保障される形式で、それでいろいろな考え方があると思うんですが、それぞれが簡単に自分の政見を述べて、後で討論するっていうやり方もあるでしょうし、最初っから討論ていうやり方もあるでしょうが、私は直の直接の論戦が目の前でよくやられると、まあ、公平公正にやられると、いうかたちが今の情勢にあってるんではないかと、こう思います。
 
筑紫
 
  深谷さんは?
 
深谷

 
  アメリカの大統領の場合には、先ほどお話出ましたけれども、討論会委員会というのがですね、共和党と民主党が合同で開いてですね、90分ぐらいのケースでですねやっているのがございます。それがですね、司会者があらかじめ聴衆からですね質問を選んでおいて、候補者に司会者が尋ねていくと、いうケース、もう一つは聴衆と候補者が討論し合うという、いろんな工夫をすればですね、私は皆様が政治や政策に対してもっと感心を持っていただけるようになると思いますね。

 それから今現在の公職選挙法では、選挙最中の公開討論会というのは行われておりませんが、これは個人の演説会というのは無制限でございますから、そこの選挙区の候補者達が、合同で演説会を開くというのはかまいません。ですから今の法律の中でもリンカーン・フォーラムのようなみなさんがたがですね、各候補者に呼びかけて個人が、持っている演説会開催の資格を合同でやらせるということになれば、現行法でも出来ないことではないんですね。
 

筑紫
 
  ああ、なるほどね。そこでその今のお話を含めまして、公開討論会、これは今日の主催の地球市民会議、統一選挙、地方選挙含めて、全国でかなりの広がり方をしているんですね。で、この公開討論会というものを、今深谷>さん現行法でも不可能ではないとおっしゃいましたけど、もう少し便法によってやらないでですね、こういうものを認めてもいいんではないかという議論もあります。そのとき選挙運動の形というものを議論したいと思うんですが、それはどういうふうに考えるかも関わってくると思うんですが、公開討論会そのものをそれではどう思うか、選挙管理委員会がやる立会演説会を復活させるかどうか、法律をそうするかというのを少し離れてですね、その辺のことをどういうふうにやっていったらいいのか、このへんのところを他の人に伺っていきたいんですが、志位さんどのように。
 
志位
 
  私はですね、この公開討論会をどういった形で保証するかという問題について、2通りあると思うんです。一つは候補者に対する公開討論を制度的に保障すると、つまり以前の立会演説会というのは、選挙管理委員会が主催していたわけですけれども、そういうことでもですねきちんと制度的に、保障することを考えてもいいんじゃないか、これ1つなんです。もし有権者の皆さんが自由に開けるという点で、こういうみなおしというものはあっていいんじゃないか、今の公職選挙法ではですね、選挙に入りまして確かに合同個人演説会だったら開けるんですが、主催者が政治団体だったりすると、そういう討論会開けないと、いう禁止事項がありますから、まさにこういうところをですね公職選挙法みなおして、運動者のみなさんが自発的に討論会開く場合に、公正性が確保されるならば、それならもっと自由にすると、いう選挙法の見直しがあってしかるべきなんじゃないかなあと、・・・
 
筑紫
 
  ただそのときに有権者も主催団体をどこにするかで頭のいたいそうで、先ほど三枝さんも民主党のまわしもんじゃないかと思われているということをおっしゃってましたが、つまりそのへんをそういうふうにしていくかということで、アメリカの場合は一番あるのは有権者同盟、議員に相当する女性の団体です、しかしそのへんのところは結構難しいと思いますが、市川房江さんの選挙にも関わっておられた菅さんそのへんはどう思われますか。
 
 
  私は特に東京で活動している限り、あまり心配ないと思っています。そのいわゆる制度だけ可能にすればですね、それぞれの地域で例えば20や30の人がそういうことをやりたいとすれば、それは市民のほうで1回や2回のほうをですね合同でやりましょうとかですね、そうするとそれなりの人をえらばなければですね、何だなあの人が司会やってるようじゃ偏ってるからダメじゃないかというような、これは出るほうも自由にしておけばそれなりのものを作る力はあると、わたしは思っております。場合によっては選管主催をもう一つぐらい出きるけれども、それ以外も自由にする。そして出る出ないも候補者のほうの自由にする。そうしておばいいんではないでしょうか。
 
筑紫
 
  東京のことを例としておっしゃいましたが、地方の場合はどうなのか。一つの例になるのはアメリカの選挙で、予備選挙の段階は州別なんですね。そのときに司会というのは、有権者同盟だけではなく、地元の新聞社の編集局長とか、論説委員とかが全体を仕切っているという場合もかなりあるわけですけれども、菅さんこれは民間主催で一応候補者のほうにインビテーションを出すわけですよね。そのとき実際やってみて一番頭が痛いことは、現職が出てこない。というケースなんですね。数の上では深谷さんが一番多いわけなんですが、こういう場合はどうしたらいいんでしょうか。
 
深谷


  あの、一番難しいのは政権与党の立場でありますとですね、夢のような演説は出来ないんですね。現実の政治に取り組んでおりまして、その現実の政治をどう進めていくかということですから、そういうことから言えばですね、政権与党でないほうはバラ色の演説ができるわけですね。これなんかは非常にマイナスになっています。だけれどもそういうことでダメだといってるわけじゃありませんけれどもね。これは聞く側の皆さんがご理解いただければいいこと思いますので。

 ただもう一つだけ付け加えておきますとね、私の場合なら選挙の半分以上、このお二人もそうだと思いますが、他の候補者の応援に出かけているんですね。そうすると自分の選挙区であてがえられた期日に来いといわれても、なかなか行けないというところがありますねえ。だから、しかも選挙期間というのは12日間と非常に短いです。前は20日間あったんです。だからその短い間に上手く時間の調整ができていけるかというと、大変心配です。全国応援に行く割には自分はそんなに選挙強くないわけですから、正直不安なわけですよ(笑)。
 

筑紫
 
  あの、今のお話だと政権与党だけではなくて、チャレンジャーのほうが有利なんですよね。まあ公開討論っていうのは、現職はもし強い現職であれば、守ったほうが良いと。怪我をしないためにはそういうところに出ていかない方が良いという、するとどうしても、アメリカなんかでもそれが働くんですね、そこはなかなか難しいところなんですが一方で有権者が、出てこない、自分は勝てると思って出てこないというところが、跳ね返っていって自分に不利になるといった、つまり有権者のほうにもそういった目つきがあれば全て変わることだとおもうんですが、この現職については菅さんはどのように考えておられますか。
 
 
  今筑紫さんが言われたとおりで、やっぱり出てこないと、社会的にというか選挙区的にですね、不利になると、ただあの私も同じで前の選挙で自分の選挙区にいたのは3,4時間でしたから、そこはそのこういう候補者をでられるようなところはですね話し合いで、じゃあこの時間なら出られるからということで、他の候補者も折り合って出きるだけ全員が出られるようにすると、ただどこでも良いから出てほしいといっていても、じゃあもう自分は一切出ないというような現職に対しては、まあ社会的に逃げているんだと、いう形でマイナスの評価が出るような、そういうふうになれば、現実的には17日間という短い期間の間でも、1回や2回ならそういう忙しい候補者も、出られるんじゃないかと、こう思います。
 
筑紫
 
  志位さん、あの共産党はですね、しばしばいろんな地方選挙の場面なんかでそうなんですが、むこうがオール全統一候補で、共産党だけが対抗馬だという選挙で、全国いろいろなところであるわけですね。そういう場合にはなかなかこういうものが成り立ちにくいんではないかと思うんですが、そういう党の視点から見て今の議論どう思いますか。
 
志位
 
  実際成り立ちづらいですね。それでいろいろと企画してくださるケースがあっても、一切そういうものには出ないという選挙が多いですね。かなり、それで確かにその現職とチャレンジャーというのは立場が違うと思うんですが、あのチャレンジャーの立場から言ってもですね、何もいつもバラ色の政策ばらまいているわけじゃないと、それで有権者の方が結構な政党だということで指示するかというと、それはずいぶん見る目が厳しくなっていると思います。それは野党にあっても対案、代案を示して、それに同意もなく意見もなければ、これは勝手なこと言ってると有権者の方が、それは審判していくと思います。ですからこれはオール与党という形で地方自体多くて、その場合本当に成り立ちづらいんですが、是非そういう場合でもですね、そういう選択肢がある以上、堂々と政策のほうで交わっていく機会を、相手の側も出てきてですね、やってほしいなといつも思います。かなりの場合につぶれる場合が少なくありません。
 
筑紫
 
  ただ現職の場合でも、例えば宮城県の浅野知事がおっしゃってたことですけど、現職ってのはいつも県議会やなんかでも護るが勝ち、バラ色じゃないからいろいろ割が悪くて自分の言いたいこと言えないと。選挙になった場合にむしろ自分のほうから僕は出ないという。マイナスなんだと。というも現職いるわけですよね。
 
志位

 
  あの今ひとつ思い出したんですけれども、私の住んでいる、市の名前はちょっと言いませんが、市長選挙がありました。で、このグループのみなさんが、公開討論をしてくださったんですね。そのとき現職に市長さんは出なかった。それで現職じゃないけど自民党の方、私どもが推薦した市長候補と、二人出たんですね。それで、三つ巴の選挙でしたんですけれども、私どもも良いところまで行ったんですが勝てなかったんですが、その公開討論会に出なかった方は落ちたんですね。で、まあ自民党の推薦の方が……(笑)。そういうことあるんですね。

 ですからやっぱり、そのときの私の感じで言いますとね、そのまちの中に討論会に出なかったと、いうのがサーと広がりましてね、やはりそういう場に出て来れない人はどうなんだと、いうことでずいぶん厳しい目で見てるんだなあと思ったわけです。
 

深谷

 
  今の、市長選で自民党推薦で数少ない落選者の例を出していただいて恐縮です。(志位:自民党の方が当選したんですよ) 私達、あの今までテレビ討論会ですね。こないだの知事選でもそうなんですけれど、もう終わったことですから名前言っても良いと思いますが、私達は明石さんをかついだんです。あの方は非常に行動力があって国際的、外交の世界で頑張ってた方でございましてね、内容と実力あるんですけれども、話し上手ではないんですね。このあいだの知事選のテレビ討論というのは、まるでワイドショーのようになってですね、チャンネルを回すと候補者が全部出てまあよく口が達者にこれだけ言えるもんだと。ああいう中に出すとマイナスじゃあないかということでですね、そういう不安心配を小渕さんされてたんですね。

 後で議論になると思いますが、これから国会でですね、大臣答弁が今までみたいに一方通行ではなくて、議論ということになってきますと、やっぱり議論がとても上手な方とそうでないかた、もっと端的に言えばですね、非常に熱心に汗をかいて働くけれども、喋るのは得意でないという政治家、その逆、それぞれがいったいどんな評価をされるんだろうといった場合に非常に難しいことがあるんですね。やっぱり政治家にとって演説は命ですから、演説が出来なければだめだと頭から言ってしまうだけではすまないことになってるわけです。こつこつその分野で本当に汗を流している政治家が、口下手であるために討論会では不利になったということもありうるわけでして、そこをどうかんがえるかも、大事なことの一つであると思います。
 

筑紫
 
  深谷さんありがとうございます。パフォーマンスという言葉が英語と日本語と使われ方が全く逆でありまして、一つは演ずることがパフォーマンスであると日本語化した英語で言うわけですけれど、パフォーマンスが良いかどうかって言うのは車のパフォーマンスが良いかどうかというのと同じわけで、実質何をやったかであるとおもいますね。ちょっと時間を変えれば選挙民は見に来るんではないかと思いますが、テレビ討論でもあれだけ多くの番組に巡業のように出てるうちにですね、結構正体がわかってしまうというのも悪い言い方ですが、何も弁舌だけで当選するとは限らないんで…
 
深谷
 
  今の話ごもっともですけど、小渕さんスタートのときは本当に低い支持率でした。でまあ、ここで自民党の成果を語るつもりもありませんけれども、私達も全力を挙げて経済再生その他一生懸命頑張ってきたわけですが、やはり1年がかりですよ、人の評価が得られるのは、それが選挙になっるとたった12日間で、うっかり間違えたらその人の政治人生終わってしまうということがありますので、そこは時間をかけてじっくり分かっていただけるだけの選挙期間内でのことだから、難しいことは難しいんですね。
 
筑紫

 
 そのことを含めて、公職選挙法のことも含めて政治をどういうふうに国民に近づけていったら良いのかということについて、最後のテーマにうつりたいんですが、今の公開討論会と立会演説会の議論について言えば、こういう理解は正しいのか御三人の意見を伺いたいのですが。

 一方では立会演説会という形でしっかりした討論の場があったほうが良い、つまり公的にきちんとあったほうが良い。あるいは民間、候補者同士で企画するような、いわば選管管理ではないものか、両方あったほうが良い、つまりかたっぽは成り立たないかもしれないけれど、最終的な保障として一つ公的なものがあったほうが良い、それぐらいの民間にやる自由があったほうが良いんじゃないかと、こう御三人ともお考えであると理解してよろしゅうございますか、違いますか?
 

深谷
 
  例えばこの地球市民会議がですね、選挙前の期間に様々な努力をされて、成功されてきましたね。これは現行法上で十分出きるわけでありますから、これが根強くもっともっと広がっていくということが、非常に大事なことであります。選挙期間は何回も言いますけれども衆議院では12日間しかないわけですから、その12日間の間でどれくらいが顔を出せる範囲なのかとかですねえ、時間の設定どうするかなど非常に難しいことがあります。だからそこいらはこれから各党で、前向きに議論していくことが必要だと思いますが、難しさが多いということだけ申し上げたいと思います。
 
筑紫
 
  はい。そこでその公職選挙法と言うことで、全体を見てですね、伺いたいんですが、立会演説会もそうなんですが、公職選挙法というものが、まあ前も申し上げたことなんですが、公言していることでこれは「べからず集」ではないか、これをしてはいけないこれをしてはいけない、やって良いことよりやっちゃいけないことがズーっと、ありますねえ。で選挙と言うとどういうことになるかというとあの悪名高い連呼ということになってしまう。しかもその前提にですね、選挙民というものはおろかな者であって、いろいろ制限しないとどうやって買収されてしまうか分からないという、選挙民のレベルが低いんだという、もっと言えば性悪説が前提になっているんではないかとおもわれるところがありますね。戸別訪問が良い例で、戸別に訪問されると誘惑されちゃうという、これは相当有権者を馬鹿にしたような前提が後ろに隠されてないかという、きがしますが、そういうことに関しそれでは菅さんから。今の公職選挙法についてどう考えますか。
 

 
  ええちょっとその前にですね、先ほど深谷さんが言われたことで、少しやっぱり見方が違うと思いますね。確かにテレビの討論というのは、それこそどなたが司会者かによってですねいろんなケースありますけど、私はこういう生の討論の場合は人柄も出ますから、何か中身も濃いけれども、言葉少ないから不利になるというようなことは私は別問題と思う。逆にいえば、討論とか、いろいろなビラとか使って良いわけですから、そういう中で伝えることが重要なんで、逆に言葉では伝わらないからということを前提にしますと、何か組織とかそういうもので勝負をするということになりますから、私は大丈夫だと思います。それからまあ、テレビの討論というのは私もたくさんださせてもらってますけれども、ちょっと怖いところは率直なところあります。

 それからそれはまた、「ベからず集」で、選挙民のレベルが低いことを前提とした法律ではないかというご指摘ですが、この法律ほどひどい法律は私もないと思っています。例えば看板の横の長さが2メートル73なんて私、市川さんの選挙をやったとき以来わすれたことがないんですが、じゃあ74センチになったからといってどうかというとですね、あまり関係ないわけですよ。それから弁当代はいくらとかですね、細かいことばっか決まっていてですね、最近多少よくなったのは、買収でつかまった場合には連座制で、失脚するというのがかなり厳しくなったから、あの原則は厳しく、後そういう細かいところはもっと自由にすると。そういった意味ではもっと抜本的な改革、改正が必要だと思いますね。
 

筑紫
 
  はい。志位さんは公選法についてどう思いますか。
 
志位

 
  あの私はですね、政治活動の自由、それから有権者の立場からいいますと知る権利、これがですね選挙の中で一番保障されなければならないんですが、今の公選法はおっしゃるとおりべからず集になっていて、がんじがらめになっているわけです。それでわたしは今日のテーマは選挙における討論なんですが、候補者同士の公開討論ももちろん大事なんですが、もっと大事な選挙における討論の一番の基礎っていうのは、政党候補者が有権者と草の根で、直接話し合って、対話し討論していくと、これが一番の基礎なんであります。

 でこの点でですね、日本の公選法で戸別訪問が禁止されている。あるいは文書宣伝も本当にやりづらくなっている。これは世界に類のないことだと思います。戸別訪問を禁止されている国が僕はあるかどうか調べてみたんですが、なんと世界中日本だけで、スリランカでわずかに制限が加えられているだけで、どこでも自由にやってます。自由法曹団なんていう法曹関係者がですね、イギリス・アメリカ・ドイツと3カ国でですね、調査してみたらですね、どこでも戸別訪問が自由で、選挙活動の一番の軸になっています。サッチャー女史の選挙参謀を勤める方は、もしイギリスで戸別訪問を禁止したら暴動が起こるだろうと、どこでも行って、そこで対話が得られるわけですから、私は戸別訪問の自由化、文書宣伝の自由化、公選法を見なおすときが来ていると。細川内閣のときにですね、戸別訪問の自由化ってのは最初の案で出たことあるんですよ。ところが最後に消えちゃったんですね。だからですね、もう一回見なおしてみて、そういうところこそ目標とする選挙があるんじゃないかと、私はそう思います。
 

筑紫
 
  はい、深谷さんどうぞ。
 
深谷

 
  さっきの立会演説会の話ですけれどもね、私に菅さんは反対されましたけれども、それは一つのご意見として結構なんですけれど、一番私達現職議員で申し上げたいのはですね、日常の活動を見て評価してほしい、この一点なんですよ。立会演説会でどれだけ上手いことを言うかは、その人の喋りの素質によってきますわね。実際は公約したことをこの政治家はどれだけまもってきたのか、この政党は何をやったのか、そういう日常の成果が選挙になって評価されるということでないと、私は民主政治は育たないと思うんです。だから個人演説会だけの問題、立会演説会だけの問題じゃなくて、それは選挙の際での戦術としてはとても大事ですけれども、本当は日常の活動をどう評価していただくか、そこまで有権者のみなさんがじっと見ながら、判断していただくことが最も大事なんではないかなと、私は思うわけです。

 それから、ベからず集というお話がありました。それは選挙はありったけ自由であったほうが望ましいんです。望ましいけれども全く自由にしてしまった場合には、財力のある人権力のある人にかなわないという現状があります。戸別訪問に関しても平成4年にOKやろうじゃないかということになったんですが、5年にやっぱりだめになったのはですね、日本的な戸別訪問というのはですね、がらっと開けて「今日は、深谷隆司です、よろしくお願いします。」また急いで隣へ行って、「お願いします。」自宅にいらっしゃるかたは一日じゅうピンポンピンポンなってしまってそっちのほうが迷惑だということもございました。だからそう意味ではですね、戸別訪問をしながら政治を語るというですね、そういうかたちならともかくとして、どちらかというと連呼の代わりとして「今日は深谷隆司です。」って何人来たかっていう勝負になってしまうとですね、なかなかですねこれは動員力のある人、人を集めるのに極めて有利な党、そういうところにどうしてもかたよってしまうんではないか。有権者も戸別訪問で見に毎日ピンポンならされちゃかなわんということもあるとおもいます。決して有権者を馬鹿にしてですね、そこで買収がひそひそ行われるから、なんていう発想は、ごもっともではございません。
 

筑紫
 
  戸別にピンポンは実はアメリカ人は4年に一回本当に悩まされるんですね。それでセールスマンのように来るのを撃退される、俺はそんな奴絶対いれないと怒鳴られる。そんな中でたいてい若者なんですが、そこは通過儀礼で政治というものと付き合っていく、アメリカの平均的な若者の、特性時に関心のある若者の通過儀礼になっているケースもあるんですけどね。志位さん。なんだかさっきからおっしゃりたいそうで・・・。
 
志位

 
  イギリスの調査をやった団体のですね、調査報告書を見るとですね、迷惑な態度を受けた人はほとんどいない、もし支持しない政党が来た場合には、これこれの理由で支持しないからお帰りくださいと、いうふうに言えばもう無理強いしないでバイバイと、そしてなんですか、ピンポンピンポンとよろしくよろしくと戸別訪問やってる政党はどこもない。大体5分から10分ぐらいですね、戸口の所で対話をしてで、そしてボランティアの方がこれをやっている。買収という話も時々あるんですけれども、戸口で札束をつるして気をひこうということも起こらない。ですから大変当たり前の活動として、イギリスではやられていると思います。

 それで今日本で戸別訪問を自由化した場合ですね、ピンポンピンポンやってばかりの政党はですね、有権者の側がそういった政党には、やはりもうお帰りくださいということになるわけですから、それはやはりそういう良識に任せることで問題解決していくんではないか、私はこういうことは思いきってね、そういえば戸別訪問を禁止したのは1925年なんですよ。戦前の治安維持法を作ったときに禁止されている。戦前代の治安維持法的発想なんです。だからもう、世界で日本だけが禁止されてるというのはやめにして、有権者の良識に任せて、こういうところも自由化していくべきではないかと、私は思うんですが。
 

深谷
 
  私なんかはですね、戸別訪問禁止されてますが、小さな座談会なんかたくさん持ってます。やっぱりしっかり話が出きる状況でありませんとね、今日はよろしくお願いしますという、有権者はきっとそれで判断するでしょうとおしゃいますけれど、現実の電話戦術ひとつにしても、うるさくてしょうがないと怒られながらも、向こうは何回もかかってきたよという声もありますからね。簡単なことではないんですよ。それからまた戸別訪問、大動員かけるのが得意な政党がありますし、あんまり得意でない政党もありますからね、だからやっぱりどこが公平でどこが中立性を保ちながら政治の歩みを報告し、理解していただけるか、そこらはじっくり相談しながら、最大の良い方法を見つけていくしか方法がないと思いますね。
 
 
  やはり原則として戸別訪問ができるようにすると、いうのは当然のことで、その中で時間制限をすることというのはあっても良いかもしれませんが、どうも深谷さんの話を聞いているとですね、決してわが党は、大動員をかけるのが得意な政党ではありませんが、やはり候補者側の発想が強いとおもう。有権者側の発想からすれば、いろいろな意見が聞きたいわけですし、NOであれば結構ですとお断りすれば良いわけですから、それは当然やるべきでないでしょうかね。
 
深谷
 
 先ほども言いましたけれども、くどいようですけど、私達アンケート調査もやったんですよ。そして有権者の側が台所仕事やっている中で、またピンポンまた来たよというのは、とてもじゃないが耐えられない。聞きたい話は是非聞きたいけれども、そういうような煩雑な生活の日常の中で、その期間わっとやられるのはどうかという声も、かなりありました。だから私は戸別訪問は絶対ダメなんだといってんじゃありません、そういう問題も含めて各党で話し合って何が最善の方法かを答え出していくのがわたしたちの役目ではないかと思うんですよ。
 

 
  もう一つ良いですか。私は小選挙区を中心とした制度になって、選挙の意味合いも少し変わったと思うんですね。深谷さんが戦われた選挙と言うのは、やはり深谷隆司という人間性をですね、中心にして支持者を広げる。これは非常に大切なことだと思います。
これからの小選挙区というのは、ある意味では2大政党あるいは2つのグループ、まあ志位さんとかもちょっとおられますけれども、大きな2つのグループがですね、それぞれの小選挙区に1人ずつ候補者を出して、こちらの自自公の側から1人候補者が出れば、ここは小渕さんを総理大臣にしたい。こちらの民主党中心の側から候補者が出れば、今では私ですが、他の人を総理にしたい。ですから小選挙区というのは総理を選ぶ選挙という意味が、私は強くなったと思う。ですからそう意味でもですね、個人としての日常活動を見てもらいたいというのも分かるんですが、やはり選挙になったときに、今この自自公政権がこうなんだから、という議論をですね戸別に有権者にするというのは当然で、それが何か、押さえられているという考え方は、有権者側の論理と違うと思いますね。
 

深谷
 
  誤解のないように申し上げておきますが、私自身が日常生活どうしているかということを有権者に訴えるつもりなんてのは毛頭ありません。私どもは中小企業問題に関して党を挙げて何をやったかということ、そういう日常の行動を伝えて、そういうことに対する評価が投票行動になってる、という形が私は一番良いかたちだと思うんですね。それを伝えるために、いろんな手法があると、それはあなたは戸別訪問がいいだろうとおっしゃるが、私はむしろ演説会や座談会がご迷惑をかけないんだろうと思うんです。
 
 
  あえて一つだけ言いますとね、イギリスの場合は、わりと候補者がポンポンと選挙区を変えられたりするんですよね。そして労働党か保守党かということを選ぶ選挙がかなりウェートが高いわけ。ですから私ももちろん同じ選挙区で長いことやってますから、菅直人という個人で、応援してもらっている人たくさんいるわけですけれど、しかしこれからの小選挙区のウェートと言うのは、個人を選ぶという側面と同時に、その人が属してる政党が推す総理大臣は誰なのかと、つまりは総理大臣を国民が選んだ気持ちにならない限り、私はこの国の民主主義は本物にならないと思うんです。先ほど小渕さんという方が、大変口下手なんだけれどもどうして総理大臣になっちゃたのか、有権者側としては納得できる説明というのはないわけですから、そういう意味では小選挙区の意味合いが変わってきている中では、戸別訪問ももっと認めるべきだと思うんですがね。
 
筑紫
 
  志位さん。
 
志位

 
  やはりあの選挙の運動のあり方を考える際に、2つの面があるんですね。政党の側からしますと、憲法で保障された言論の自由、政治活動の自由、これは選挙の中でも、じゅうぜんに保障することが大事になってくる。しかし、国民、有権者の側から言いますと、先ほど菅さんも言われておりましたけれど、知る権利というものですね。これが十分に保障される必要があると思います。

 それでこの知る権利というのは、さっき言った公開討論会というのもあるんでしょうが、やっぱり人間と人間との関係が一番親密なコミュニケーションってのは、直接面と向かった対話ですよ。この対話の機会をですね保障するのは当たり前ではないか。この対話をですね、もちろん今対話集会みたいな形でですね集会を開いてやるのも出きるわけですが、しかし、戸別に5分でも10分でも有権者の意見を聞き、疑問も聞き、思案も聞いてそれでこちらの意見も言うと。こういったコミュニケーションが選挙の一番の基礎にあって、それが土台だと思うんです。草の根の土台がしっかりあって、草の根の討論がしっかりあってですね、皆さんがやられてるようなこういう公開討論会も、たくさんやられていくと。そういうことによって日本の政治というものがですね、本当に民主的に開かれた政治になってくると思うんで、ぜひここは深谷さんもですね、戸別訪問の自由化というのに踏み切って、そういう点でも本当にオープンな、討論をですね保障される選挙していったらいいんではないかと思います。
 

筑紫
 
  はい、あの、時間が…
 
深谷
 
  選挙はいろんな自由を与えるべきなんですよ。しかしそれが行きすぎてしまうと、様々なマイナスが起こりますから、最低のルールを確立しておかなければならない。全部はずせば良いってもんじゃない。その点だけどうぞお考えください。
 
筑紫

 
  ええ、5分前というサインが出ておりまして、これで締めなきゃいけないんですが、総選挙がいつになるか分かりませんが、少なくとも来年の10月までにはあるわけで、それまでにですね、戸別訪問のこともありますけれでも、是非その小選挙区というのはいろいろな議論ありますけれども、少なくとも可能性としては小さい選挙区ですから、候補者と有権者が向き合う、距離が近い可能性は、中選挙区より持っているわけですね。

 ですから、法的であれ民間であれ、この地球市民会議みたいな形であれ、どこの選挙区は最低1回は候補者の討論会が実現できる選挙に、次には是非していただきたいなと、気分もいたしますが、そういうことを含めまして、1人2分ずつ差し上げるはずだったんですが、はみ出してしまいました。
 

--- (記録テープ交換のため10秒ほど記録なし) ---
 
志位

 
  今の制度でも合同演説会が出来ないこともないんですけれでも、障害がありますから公職選挙法もこの際見なおして自由に有権者のみなさんも公開討論会が開けるようにする。選管主催のほうも保証するように、選挙法の見なおしをですね、是非提案していきたいと思いますので、この点も力をあわせられるんじゃないかと思います。

 そしてあの、討論の中身について一言だけ申し上げますと、選挙なんかの議論になりますと、私なんかも出ますとよくそうなんですが、これから何をするかというのはずいぶん話題になります。しかしこの任期の間に何ををやってきたかということの検証といいますか吟味といいますか、この面も両面ですね。というのも選挙の時の公約とずいぶん違ったということになってしまったということも、政見作る場合にもいろいろありますから、やはりそういうことが続いてはせっかくの討論も残念な結果になってしまいますから、ですからそういうことも含めて、やってきたことの吟味と、今後の公約と両面で本当に充実した討論を、是非全国で私達も努力していきたいと思いますが、力を合わせてやっていきたいと思います。
 

深谷

 
  私達は今政権を担当している政党でございますから、何よりも今やらなければならない経済再生、景気回復、もう一息で何とかなりそうですから、ここに全力を挙げて、そういう実感を国民の皆さんに持っていただくことで、自由民主党の評価を高めていきたいと思っております。また外交問題、防衛問題、あるいは少子化、高齢化様々な問題がありますけれども、これの一つ一つの手立てをきちっとしていく、そして政権与党らしく答えを出しながら、そのことをみなさんにどうやって伝えていくか、日々努力を続けていくことが肝要ではないかなと思っております。

 それからこの地球市民会議が主催しているような会に、自民党はなかなか出たがらない人が多いというはなしがあるようですが、多いに参加するように私からも奨励することをお約束いたします(笑・拍手)。
 

 
  討論というものについて、日本人はあまり上手くないんじゃないかといわれておりますし、深谷さんを除く自民党のみなさんは、どちらかというと避けられて、まあ腹と腹とですね、あるいは杯をかわすのか、そういうことを重視されるようです。民主主義というものは、ある意味では誤解を招くとあれですが、建前というものがきちんとあるのが民主主義ですから、やぱり言葉できっちり語るということも大変重要なんで、そこは討論という形が、選挙の中心にもっとなるべきだし、地域ごとで言えばCATVもずいぶん発達してきましたので、それと連携すればいいんではないかと思います。

 まあ最後に一つだけ言いますと、先ほど私が小選挙区と言うものが総理を選ぶ選挙になれるんだといったのはですね、例えば今深谷さんがいろいろなことをおっしゃいましたけれども、私が見るところ自民党の政治というのはですね、ほとんど中身は霞ヶ関が原案を作って、まあそりゃあ国会が通すとしても、実行しているのも霞ヶ関。つまり官僚主権の状況になっている。それをどこが、チェックができるかというと、総理大臣がチェックできるんですが、総理大臣が国民から選ばれているという意識が持たなければ、いくらたったって総理大臣も大臣もお役所の代表しかならないわけですから、私はこの小選挙区制というものを積極的に生かして、討論を積極的に生かして、日本のまさに国民主権を取り戻す、この次の選挙こそチャンスだと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
 

筑紫
 
 どうもありがとうございました。
 
深谷
 
まだ言いたいけど(笑)。あの一つだけ申し上げますとね、このあいだの国会で、様々な、国会の活性化の法律が通りました。例えば政府委員は次の臨時国会から全部廃止です。100年続いた政府委員が代弁するという仕組みを、政治家自身が、大臣自身が自分の声で語っていくというそういう議会に変えていこうとしています。また12年からはですね、総理大臣が野党の党首とT対1で議論ができるようになるような、そういう委員会を、毎週1回40分間ですけれども開くということも決めました。また副大臣とか、大臣政務官とかいう制度を作りまして、より活発な国会運営を図ると共に、「カン」主導ではなくて、政治主導の体制に変えていこう。菅直人という意味ではありません。政治が主導する政治、当たり前のことですけれどもね、どちらかというとお役所が中心となっている仕組みから大きく展開していこうという、そんな試みもやっておりますので、どうぞみなさんも注目してまたご意見もお寄せいただきたいと思います(拍手)。
 
筑紫

 
  どうもありがとうございました。時間オーバーしておりまして、カン主導というお話が出ましたが、私達の社会は本当に官主導になっていると思うんですが、このホールもですね、時間通りでないと大目玉をくらう。民間の建物だと思うんですが、日本じゅうそういうことが進んでますね。私どもの作っております建物はもっと厳しかったりして。そんなことがありますが、時間をオーバーしております。締めくくりで何かを申し上げる時間がありませんが、メディアの問題、テレビの問題大幅に省きました。それから今深谷さんがおっしゃいました、国会自身もやり方が変わろうとしている。これから議論をして政治をやっていくということと非常に関係の深い話でしたが、その話の部分もはぶいてそれでも時間がオーバーしております。

 そこで選挙というものについていろいろな捉え方ありますが、一つの言い方で深谷さんが先ほどその日常の努力、現職の努力が大事だと、おっしゃいましたが、確かにそうなんですが、選挙というのはメモリーとホープの戦いだという言い方があります。つまり現職側は自分達がこれだけやりましたよという記憶を選挙民に訴える。それに対してチャレンジャーはそれよりは将来私を選べばこういう希望があるという、ホープを抱かせる。そこでどっちを有権者が取るかという、これが本当の選挙の基本的な意味だといういい方もあるわけでありまして、そういうことがわかるためにも、やっぱり討論が必要だと思います。

 今日いろいろなことをお尋ね申し上げたり、あるいは憎まれ口もたたかせていただきましたが、政治といい選挙といい、言うまでもないことですが、そのレベルを決めるのは有権者だというのを私達は忘れるべきではないと思います。国民、有権者のレベル以上の政治はないんだという人間であります。そのためにも私達がやらなくちゃいけないことは、まあ私、有権者の1人として申し上げておりますわけですが、大事だろう。政治家に対してああしろこうしろ、と言うのも大事なことですが、自分達が何をやるかということが大事で、地球市民会議もそういう試みの一つだろうと思って、私も参加させて頂きました。本当に御三人の方お忙しい中ありがとうございました。
 








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更新日 2000年11月20日